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2006年5月13日 (土)

スイバ(酸葉) 別名・スカンポ すかんぽ、すかんぽ 川のふち

名前 スイバ(酸い葉 別名・スカンポ)
分類 タデ科
花期
 5月~8月
生育地 人家の周辺、草地、田の畦などに普通
私が出会った場所 埼玉県・杉戸町 他 全国各地で出会っている  

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 スイバの別名はスカンポ。目立たない花である。ところが、このような目立たない花を詩に詠み込んだ人がいた。北原白秋である。そしてその歌に曲をつけたのは山田耕筰。その曲は「酸模(スカンポ)の咲く頃」

土手のすかんぽ、
ジッワ更紗。
 
晝は螢が、
ねんねする。
 
僕ら小學、
尋常科。
 
今朝も通つて、
またもどる。
 
すかんぽ、すかんぽ、
川のふち。
 
夏が來た、來た。
ド、レ、ミ、ファ、ソ。

どんな内容なのかよくわからないのに、耳に残る歌である。

 スカンポはスイバともいう。スイバは漢字で書けば酸葉である。これは茎や葉に酸味があることによる。そのためスカンポを詠った短歌、俳句にはそれを噛んだという作品が多い。そしてその句は甘酸っぱいようなほろ苦いような味がする。

すかんぽを噛めばおぼろに父のこと 角川春樹
すかんぽを噛んでまぶしき雲とあり  吉岡禅寺洞
すかんぽや口笛風に和す夕べ    大関靖博
すかんぽの茎の味こそ忘られぬいとけなき日のもののかなしみ 吉井勇

 これから語るのは、私がデジタル一眼レフEOS30Dを購入した時のことである。

 夕方、朝から降っていた雨が上がり日が差してきたので家の近くでいくらでも見ることができるスカンポを300ミリレンズを使って撮影してみた。デジタル一眼レフデビューの瞬間である。今まで美しいと感じることのなかったスカンポであったが、そんなスカンポにも美しく輝くときがあることを発見することができた。写真は目に写ったものを映し出すだけのものではないということ、今まで理解していた気がしていたが今日その理解が数歩先に進んだという気がした。下の写真はそのデビュー作である。

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5月13日(土)杉戸町

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2006年5月 7日 (日)

フクロウ 最後の最後で

名前 フクロウ(梟)
分類 フクロウ科
生息地 平地から山地の林に一年中
私が出会った場所 茨城県(5月)、長野県・戸隠森林公園 (5月)、長野県・野辺山(1月)

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これから書くのは平成18年のゴールデンウィークの最終日の出来事。私は自宅から車で30分で行くことができるとある神社に、フクロウを見に出掛けた。一ヶ月前にもフクロウを見にその神社に出掛けたのだが、その時は抱卵中ということでその姿を見ることはできなかった。

午前11時に神社に到着した。「おしかったですね。10分前までそこの樹に止まっていたんですけど」という悲しい言葉が私を迎えた。
フクロウの噂を聞いて集まった野鳥好きが、一人又一人と帰っていく。次から次へと現れる野鳥ファン達も昨日は一日中見ることができなかったという話を聞いて、諦めて帰って行く。私も1時間半境内をぶらぶらした後、帰ることにした。その時はフクロウを見に来た人たちは一人もいなくなっていた。車に戻りエンジンをかけたとき傘を境内に置き忘れてきたことに気がついた。観察道具をすべて車の中に置いて、境内に戻った。そして、そこから携帯電話で妻に電話した。

「だめ、ここに来る10分前まではいたんだって、運悪いよ」
「惜しかったね。でどうするの」
「帰るよ。もう誰もいないんだ。昨日もみんなで探したけどとうとう現れなかったっていう話を聞いて、今日はもうだめだろうってみんな帰っちゃったんだ」
「今一人なの」
「うん、誰もいない。これから帰るから。(そのとき正面のけやきの木に突然影が舞い降りる)おー、何か降りてきた。フクロウ!あっ、ごめん、後でまた電話するから」

私は携帯を切って、車まで双眼鏡と撮影機材(デジスコと呼ばれるもの)を取りに戻った。
そしてフクロウの写真を撮った。100枚近く撮ったのだがどれもこれもピンぼけばかり。まともに映っているのは3枚だけだった。
このフクロウ体験を通して、私はカメラをデジタル一眼レフに変える決心をした。

それでは私の好きなフクロウを詠った俳句を3句

梟の啼く樹より闇湧きてくる 高橋克郎
梟の目玉みにゆく星の中  矢島渚男
ふくろふが夜の廊下を歩きけり 角川春樹

フクロウは昼間ではなく夜の鳥なのだ。

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撮影 上 平成18年5月7日(日) 茨城県
    下 平成23年1月  野辺山

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2006年5月 6日 (土)

ヒメギフチョウ 緑玉髄(クリソプレーズ)」の卵

名前 ヒメギフチョウ(姫岐阜蝶)
分類 アゲハチョウ科
生息地 ウスバサイシンの生育する林
私が出会った場所 白馬周辺

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ヒメギフチョウは数日前紹介したツマキチョウと同じスプリング・エフェメラル(春の束の間の命)の仲間である。 Dscf1391himegifujpg1

ウスバサイシンの葉にヒメギフチョウが産み落とした卵は宝石だ。私は澤口たまみがヒメギフチョウの卵の美しさについて書いていたことを思い出し、自宅に帰ってからその著『虫のささやき聞こえたよ』を読み返した。彼女はヒメギフチョウの卵との出会いを次のように記している。

◆「この美しさには、どこかで出会ったことがある」と感じた。それは、やはり春の山でいっせいに顔を出す、カラマツの新芽である。これを岩手の詩人.宮澤賢治は、その詩「小岩井農場」の中で「から松の緑玉髄(クリソプレーズ)」と表現している。緑玉髄とは石英の仲間の玉髄(キャセルセドニー)いう鉱物に、酸化ニッケルが含まれたもので、きれいな緑色をして飾り石に使われるという。いかにも、鉱石に詳しい宮澤賢治らしいたとえである。「これらのからまつの小さな芽をあつめ、わたくしの童話をかざりたい」とも言う、その表現を借りるならば、ヒメギフチョウの卵もまた、「緑玉髄」にほかならないのだった。
 “後に、私はヒメギフチョウの卵や、カラマツの新芽が持っていた美しさの正体を、知ることができた。そのヒントとなったのは、古代日本で卵のことを表した「かいこ」

という言葉である。「かいこ」とはとは、殻子あるいは貝子とも書き、殻を持ったものをさすが、折口信夫によれば、「成長する生命力をぴったりと内部に包んで、これを堅い殻で密封するもの」を意味するという。ヒメギフチョウの卵や、カラマツの新芽が持っていた美しさとは、その内に秘められた「これから成長しようとする生命力」だったに違いない。◆

※左写真・ウスバサイシンに産卵するヒメギフチョウ。ヒメギフチョウはまだ葉が開く前のウスバサンシンに産卵する。胴が短いために葉が開いてからでは産卵ができないらしい。

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これから成長しようとする生命力が作り出す美しさ、素敵な発想だと思う。教師として大切にしたい言葉だ。

撮影 平成18年5月4日(木) 白馬周辺

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2006年5月 5日 (金)

ツクシ(土筆) 土筆なつかし

名前 スギナ(杉菜) その胞子体がツクシ(土筆)
分類 シダ植物トクサ科
生育地 平地の草原、畑など
私が出会った場所 日本中で出会っている

Tsukushidscf1462jpg1加藤楸邨に「土筆なつかし一銭玉の生きゐし日」という俳句がある。

どうやら土筆は私を含めて多くの人に懐かしさを思い出させる植物であるようだ。
私の世代では「土筆なつかし5百円札の生きゐし日」といった感じであろうか。字余り等を気にしなければ穴の空いた50円玉の生きゐし日でもよいと思う。

幸い私が住んでいる埼玉県の杉戸町では周りにまだ土筆を見るところが残っている。土筆が珍しさから生ずる懐かしい植物にならなければよいと思う。

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撮影 上から
 白馬山麓
 裏磐梯
 埼玉県宮代町

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2006年5月 4日 (木)

ミズバショウ(水芭蕉) 懐かしい花

名前 ミズバショウ(水芭蕉)
分類 サトイモ科
花期 5月~7月
生育地 湿地
私が出会った場所 栃木・塩原(大沼)、群馬・尾瀬、長野・白馬山麓、戸隠森林公園、福島・仁田沼、

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夏の思い出

夏が来れば 思い出す
遥かな尾瀬 遠い空
霧の中に 浮かび来る
優しい影 野の小道
水芭蕉の花が 咲いている
夢見て咲いている 水のほとり
石楠花色に 黄昏る
遥かな尾瀬 遠い空

夏が来れば 思い出す

遥かな尾瀬 野の旅よ

花の中に そよそよと

ゆれゆれる 浮き島よ

水芭蕉の花が 匂っている

夢見て匂っている 水のほとり

まなこつぶれば なつかしい

遥かな尾瀬 遠い空

 『夏の思い出』ではの思い出として水芭蕉が実に見事に語られている。しかし、この歌にあこがれて、真夏の尾瀬では、この歌の水芭蕉とは似ても似つかぬ、巨大な葉だけがめだつ水芭蕉を目にすることになる。作詞をした江間章子さんは、一度も尾瀬に行かずにこの曲を書いたそうだ。夏は夏でも尾瀬ヶ原では水芭蕉は梅雨時の花である。

 とはいっても、私はこの『夏の思い出』という曲が大好きだ。この歌を口ずさむと、懐かしいという気持ちで心が満たされる。

撮影 平成18年5月4日 居谷里湿原

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2006年5月 3日 (水)

カジカガエル(河鹿蛙) 美声を持つ両生類

名前 カジカガエル(河鹿蛙)
分類 カエル目アオガエル科
生息地 平野部から山地にかけての河川、渓流
私が出会った場所 栃木県・塩原渓谷遊歩道、千葉県・梅ヶ瀬渓谷 他

フィーフィーフィフィフィ…
私は河鹿(カジカガエル)の声が大好きだ。

Dscf1214kajikajpg1数年前訪れた塩原温泉で、私はその鳴き声を最高の演出で楽しんだ。夕陽を浴びて輝く川辺でせせらぎの音とともに響いてくる優しいその音色を温泉につかりながら聞く贅沢。江戸時代には風流人が、水を張った水盤に河鹿を入れ、鳴き声を鑑賞したというが、私は自然の中の河鹿の声を楽しむことをより風流と感じる。

梶井基次郎に『交尾』という短い作品がある。梶井はその作品で河鹿を見ることの難しさを実に見事に描いている。

『交尾』 梶井基次郎

私は一度河鹿(かじか)をよく見てやろうと思っていた。
河鹿を見ようと思えば先ず大胆に河鹿の鳴いている瀬のきわまで進んでゆくことが必要である。これはそろそろ近寄って行っても河鹿の隠れてしまうのは同じだからなるべく神速に行うのがいいのである。瀬のきわまで行ってしまえば今度は、身をひそめて凝っとしてしまう。「俺は石だぞ。俺は石だぞ」と念じているような気持ちで少しも動かないのである。ただ眼だけはらんらんとさせている。ぼんやりしていれば河鹿は渓(たに)の石と見わけにくいいろをしているから何も見えないことになってしまうのである。やっとしばらくすると水の中やら石の陰から河鹿がそろそろと首を擡げはじめる。気をつけて見ていると実にいろんなところから ー それが皆申し合わせたように同じくらいずつ ー 恐る恐る顔を出すのである。すでに私は石である。彼等は等しく恐怖をやり過ごした体で元の所へ上がってくる。

4月30日(日)養老渓谷の隣にある梅ヶ瀬渓谷に出掛けた。そして、そこで河鹿に出会った。私は石になって河鹿が水の中から出てくるのを待った。そして、ついに河鹿を撮影した。写真で見れば灰色をした地味なカエルである。しかし、その鳴き声の美しさといったら…

撮影 平成18年4月30日(日) 梅ヶ瀬渓谷

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2006年5月 2日 (火)

ヤマツツジ 泉鏡花の世界に誘う花

名前 ヤマツツジ(山躑躅)
分類 ツツジ科
生育地 山地
私が出会った場所 栃木県・那須、日光霧降高原、戦場ヶ原、八方ヶ原、長野県・八ヶ岳  他

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 泉鏡花に『龍潭譚(りゅうたんだん)』という小説がある。鏡花の物語世界の中でも特に好きな作品である。

 『龍潭譚』はツツジの丘で遊んでいた少年が、幻想の世界に誘い込まれ、幻想と現実の間のせめぎ合いを経て現実世界へと戻ってくるといった幻想潭である。

 主人公の少年は躑躅(つつじ)の丘でハンミョウという美しい昆虫に出会い、そのハンミョウに顔を刺される。そしてそれが異界をさまようきっかけとなる出来事となる。鏡花はそのハンミョウを「毒虫」として描いている。前回、前々回の寫眞館で紹介したとおり、実はハンミョウには毒はなく、毒があるのはハンミョウに似た前述したツチハンミョウである。

『私がこの作品を気に入っているのは、「行く方も躑躅(ツツジ)なり、来し方も躑躅なり」という躑躅の丘の表現があまりに見事だという理由による。

◆両側つづきの躑躅の花、遠き方は前後を塞ぎて、日かげあかく咲込めたる空のいろの真蒼き下に、彳(たたず)むはわれのみなり。

◆ゆう日あざやかにぱつと茜さして、眼もあやに躑躅の花、ただ紅の雪の降積めるかと疑はる。

躑躅にもいろいろあるが、ヤマツツジやレンゲツツジのオレンジが幻想へ導く色としてふさわしく思われる。満開の躑躅に囲まれて、その中を一人歩けばそのあまりの美しさに恐ろしさを感じることであろう。

撮影 5月 八方ヶ原

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2006年5月 1日 (月)

ヒメツチハンミョウ 毒虫の正体とファーブルとの繋がり

名前 ヒメツチハンミョウ
分類 ツチハンミョウ科
生育地 山地
私が出会った場所 栃木県・那須

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前回紹介したハンミョウに毒虫という誤解を与えることになったのが、ツチハンミョウの仲間である。三斗小屋温泉に向かう途中、青い光沢のある美しい虫と出会った。初めての出会いだが、ツチハンミョウの仲間だということがわかった。卵を詰め込んでぱんぱんにはった胴と飛ぶことに関して役に立たない羽根がそう語っていた(家に帰ってから写真をもとに図鑑で調べたところ、これがヒメツチハンミョウであることがわかった)。

ツチハンミョウは愛読書・ファプル昆虫記の中でも取りあげられている昆虫で、その生活誌は不思議に満ちている。

以前マメハンミョウというこの仲間を自宅近くで見かけ、そのグロテスクさに嫌悪感を抱いたことがあった、しかし、その一生を知ることによって、嫌悪感は畏敬へと変わっていったことを記憶している。

まずこの虫の産む卵の数が尋常ではない。ファープル昆虫記にはこの虫の親戚が4000以上の卵を産むことが記されている。そして、その幼虫はアザミなどの花によじ登り、ハナバチのオスが蜜を吸いに来るのを待ち、蜜を吸いに来たところでハナバチの体から生えている毛にしがみつく。更にハナバチのオスとメスが出会うときに、この幼虫はオスからメスへと移動する、そしてハナバチが生まれてくる幼虫のえさとして用意した蜜の塊に卵を産み付けるときに、その卵の上に飛び移りまずはその卵を食べる。その1齢幼虫は卵を食べるのに適した形に外見が作られている。この1齢幼虫は卵の上から落ちてしまうと蜜に溺れて死んでしまう。そして卵を食べ終えるとこの幼虫は脱皮して2齢幼虫となる。これは1齢幼虫とは形が違い、蜜の上に浮いて蜜を食べるのにふさわしい形となっている。
この幼虫は次々と自分の形を変えていく不思議な変態を繰り返す。そしてファープルはそれを過変態と呼んだ。

人間はよく人間の道徳を他の生きものに当てはめることをする。ツチハンミョウのように他の生きものに寄生することをモラルを欠いたこととして表現することがある。
しかし、ファープルはそんなことはしない。ファープルは昆虫記に次のように書いている。

◆各自の種を維持しようと(生きものは)順次に追い剥ぎとなり追い剥がれとなり、順次に喰う奴となり、喰われる奴となる。自然が生物に強制しているこの宿命的な苛烈な闘争を思いめぐらすとき、重苦しい感情に交じって、各寄生昆虫が目的を達するのに使う手段に感心せずにはいられない。

この虫の仲間はカンタリジンという、微量でも人を死に至らしめることができる毒物を含んでいて或るものはそれを体から出すということを本で読んで知っていたため、近づいて写真をとるときに少し緊張感があった。

この虫との出会いが、私とファープル昆虫記の世界との結びつきを更に強めてくれたことは確かである。

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