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カテゴリー「音楽・美術」の記事

2011年10月23日 (日)

希望の鐘の響き

ReyamahotarubukuroNHKのニュースで中国の著名なピアニストであるラン・ランが仙台で演奏している様子が流れた。短い映像だが、胸が熱くなった。演奏した曲は「ラ・カンパネラ」。

数え切れないほどある好きな曲の中で、特に好きと言える曲だ。NHKの音楽番組「名曲探偵アマデウス」を通してこの曲のたどった道、リストのたどった道を知り、心の奥深いところで響く曲となった。作り直すごとにシンプルになり、かつ深みを増していった曲。

題名の意味は「鐘」である。ピアノが奏でる鐘の響きの美しさ、切なさ。私はその音色を希望の響きと受け取った。

「ラ・カンパネラ」を心に響かせながら、私は「ふるさと」を創っていこう。

◆写真…ヤマホタルブクロ(烏帽子岳 8月)
学名におけるこの仲間の属名はカンパニュラ。鐘という意味である。

2006年9月17日 (日)

ブラスト2:MIX( blast!)  稲垣正司の超絶技巧バトンに感動

東京国際フォーラムに『ブラスト2:MIX』を妻と二人で観に行った。
木管・金管・打楽器による音楽とバトントワリングを中心に構成されたパフォーマンスの見事な融合に何度か胸が熱くなった。特筆すべきは稲垣正司のバトンの妙技。世界バトントワリング選手権大会男子シニア部門で11年連続チャンピオンに輝き、22個もの金メダルを獲得した彼の神業がこのショーを支えているといっても過言ではない。
特に一部でのトランペットのソロで演奏される「くまんばちの飛行」と彼のバトンのコラボレーションはシルク・ド・ソレイユのサーカスと同質の感動を与えてくれた。

ショーを見終えての正直な思いを話すと、第二部は第一部以上の何かが見られると期待してしまったため、ショーが終わった後に「えっ、終わりなの」と感じている自分がいた。どんな素晴らしいパフォーマンスであってもバトンの技を中心に2時間魅せるのは苦しい。音楽の素晴らしさについては私は専門ではないので、批評できる立場にはないが、生演奏なのかそうでないかの区別がつかないほどの響きすぎの音は心には響いてこなかった。

ほめているのか、けなしているのかわからない感想を書いてしまったが、パフォーマンスの後、手が痛くなるほど拍手をしたのは何年かぶりである。

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2006年9月 5日 (火)

ブルーノ・ムナーリ展-アートとあそぼう-

 8月26日(土)に山形県米沢の上杉博物館でブルーノ・ムナーリ展をみた。
 ブルーノ・ムナーリは私が大学生の時に興味を持ったアーティストの一人である。彼の絵本『霧の中のサーカス』(理論社)は当時の私を魅了した。私は絶版になってしまったこの絵本をどうしても手に入れたく、あちこち探し回ってイタリア語版で手に入れたのだった。『暗い夜に』も私のお気に入りの絵本の一つである(こちらは今でも日本語版を手に入れることができる)。今年、読売新聞に彼が芸術について語った『ファンタジア』の書評が載った時には、それ本が欲しくて欲しくてたまらなくなりすぐに通信販売で購入した。大学生の頃、マジックに夢中だった私が彼の作品に惹かれたのは至極当たり前のことであった。彼の絵本にはさまざまな技巧が施されていたのだ。そう、私はそのマジックに魅了されたのだ。正直な話、現在の私にはその技巧はすこしうっとうしくもある。しかし、私は大学生の私をあれほど夢中にさせたものに再会したいと思った。そんな思いが私を彼の展覧会に向かわせたのだった。
 そして私は展覧会の会場で彼のこんな言葉に出会った。

「子どもたちは私たちの未来を担っているのだから、子どもに心を配ることは最も大切なことなのだ。だから、アーティストが自分の仕事だけにかまけていれば、社会的諸問題の解決に、なんら寄与していないことになる」

 私は教育者であると同時に芸術家でもありたいと思っている。私が今でも彼の芸術に惹かれる理由がわかったような気がした。

蛇足
彼の作品の中で1番気に入っているのは『木をかこう』である。この作品・小学二年生の国語の教科書でも取り上げられている。これを読むとだれでも木がうまく描けるようになる。『木をかこう』はそんな画期的な本である。

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2006年7月30日 (日)

「エルミタージュ美術館秘蔵 エミール・ガレとドーム兄弟」

日本ではまだ紹介されていないガレの作品が展示されるということで渋谷に「エルミタージュ美術館秘蔵 エミール・ガレとドーム兄弟」展を見に出掛ける。

展示の中に「ヒキガエルにトンボ文花器」という作品があった。飛び立つトンボとそれを見つめるヒキガエルが描かれている。ヒキガエルなどというどちらかというと嫌われ者で美という概念から遠いところに存在する生き物に隠された美を発見した、その眼差しに感銘を覚える。生き物全般を愛している私でさえ、ヒキガエルを見るとぞっとすることがある。しかし、そのヒキガエルがガレの手にかかると隠された美が顕在化し、芸術作品の中で命を与えられるのだ。

この作品にはさまざまな解釈があるようだ。解説書にはフィノップ・ティエボーの「(この作品は)飛び立つトンボが表す善と、トンボを追うヒキガエルに表現された悪の力の対立である」という解釈が説得力があるものとして紹介されていた。果たして、そうだろうか。
ボードレールの『悪の華』を愛し、生き物の世界を深い眼差しで見つめていたガレが捕食するものを悪、捕食されるものを善とするなどという凡庸なことを考えたであろうか。

ガレの眼差しは善と悪という二項対立を乗り越えた眼差しであり、そのような眼差しで生み出された芸術だからこそ、彼の作品は私を魅了し続けるのだと信じたい。

森に出掛けるのもよいが、ガレの作品を見に東京に行くのもよい。

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2006年6月13日 (火)

武満徹『Vision in Time』展

6月11日(日) 『武満徹 in Vision』展をみるため、オペラシティにでかけた。
そこで武満徹の次のような言葉に再会した。

◆私は、音を使って作曲するのではない。私は音と協同( コンポレート)するのだ。だが、私が、時に(作曲家として)無力感に捉えられるのは、私がまだ協同者の言葉をうまく話せないからだ。   『時間の園丁』

私は自然を題材に劇を創り続けてきた。それは苦しくも喜びに溢れた取り組みだった。そして今、私は劇だけではなく、自然を題材に写真を撮るということにも喜びを感じている。ただ、私は写真を撮る際にも、ただ自然を使って作品を生み出すのではなく、自然と協同( コンポレート)しようと考えている。無力感にさいなまれつつ…

6月5日(月) 体育祭の振替休で訪れた、奥日光で撮影したカワガラス。

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2006年1月27日 (金)

浪漫(ゆめ)~さらば昨日よ~ 

 丸山和也弁護士は従姉妹の夫である。それほど遠くはない親戚で、超有名。当然、彼の出演する番組は見てみようと思う。正月に放送された、行列のできる法律事務所の特番で彼がCDデビューすることを知った。
 曲は「浪漫(ゆめ)~さらば昨日よ~」。作詞は荒木とよひさ、作曲はFace2fAKEという豪華スタッフによって創られている。
 番組でその曲を聴き、購入しようと思った。もちろん彼と親戚であるということは購入理由の一つではあるが、それは第一の理由ではない。第一の理由は歌詞が心に響いてきたことだ。

それが男の浪漫(ゆめ) 一度しかない人生(とき)
喧嘩するなら今 この命で

 私は卒業していく生徒たちに夢を語ってきた。今でも年賀状をくれる卒業生たちはそれぞれの夢について書いてくる。私は今でも夢=浪漫を大切にしている。そしてこれからも。
『浪漫』という曲はそんな自分に勇気をくれる曲だ。

追伸
発売を知ってすぐにAmazonに注文したのだが、発売から一週間以上遅れての到着となった。一緒に注文した「ミッシェル・ポルナレフベスト」が遅れをもたらしたようだ。エンヤの「アマランタイン」と川井郁子「嵐が丘」も購入した。

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2006年1月14日 (土)

富嶽三十六景

雨の中、江戸東京博物館に葛飾北斎の『富嶽三十六景』を見に行った。
私が一番好きなのは『神奈川沖浪裏』。子供の頃、この作品が描かれた切手がほしくてしかたがなかったが、高くて買えなかった。
この作品はゴッホが弟テオに宛てた手紙で激賞し、ドビュッシーはこの作品にインスパイアーされ交響詩『海』を書いた。

『相州梅沢左』という絵には、現在では北海道でしか見ることのできないタンチョウが描かれている。そこに描かれている山は箱根にある山ということであるから、その作品が描かれた19世紀には、ツルが箱根周辺にもいたということなのだろうか。そんなことを考えた。

『富嶽三十六景』は北斎が70を過ぎて制作した作品であるということを知って驚いた。40代なんて若い若い、そう思って力が湧いてきた。

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