カテゴリー「教育」の記事

2008年2月 3日 (日)

学び ~たとえば四万温泉で~

Img_2434_3   よい仕事をするためには勉強をしなければならない。常に勉強をしなければならない。ただ、その勉強が狭い範囲に限定されるようではいけない。旅行も行かずに勉強するのではなく、旅行に行きながら勉強する必要がある。旅行に行ったときまで勉強しなくても…、という言葉はあまり意味がない。私にとっては旅も学びの一つであり、旅先の方が学びが捗るという事実もあるからである。特に創作に関しては、旅は最も有効な手段の一つであり、多くの文豪が旅を愛したことも、それと無縁ではない。

 1月19日(土)から20日(日)に妻と二人で四万温泉に出かけた。今回は温泉三昧、料理三昧、勉強三昧が目的。行きの列車はひたすら読書。「脳を活かす勉強法~奇跡の強化学習~」(茂木健一郎)を一気に読み、読了。続いて、「風が強く吹いている」(三浦しをん)を読み始める。

 宿泊場所は四万たむら。ちょっと贅沢な旅館である。とにかく温泉の種類が多く楽しめる。旅館は2時から部屋に入ることができた。すぐに温泉に向かう。そして、もどってからは英語の勉強。脚本作りのため休んでいた、NHKの英会話上級を11月号から2月号までの4ヶ月分一気に読む。頭が疲れたところで再び温泉を楽しむ。入浴後は今度は、脚本の直し。2月10日の市民芸術祭、そして関東に向けて練り直しをする。60分以内という時間制限があるため、10分短くしなければならない。ある程度目鼻がついたところで食事。食事は部屋出し懐石。美味である。 

 食事後は読書と英語の勉強。眠くなったところですぐ夢の世界へ。温泉暖房で夜も快適。
 翌朝は5時に起き、すぐに温泉へ。その後、朝食まで読書。「風が強く吹いている」(三浦しをん)を読み進める。ただ、あまり心が動かない。物語が万引きで始まることが私の心を動かなくさせている。
 チェックアウトは11時。ここの時までに脚本直しが完成する。帰りの列車では「MISSING」( 本多孝好)に収録されている、「祈りの海」と「祈灯」を読む。読書に飽きたら、英語の学習をする。

 私は白州次郎の「贅沢に磨きをかけなければいけない」という言葉が好きだ。高級旅館に泊まるというだけの贅沢などではない。そこで学び、創作する贅沢。そんな自分に磨きをかける贅沢をしていきたい。

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2008年1月24日 (木)

回顧2007 人生で一番英語を学んだ一年

 2007年ほど本を読まなかった年はない。いや、そうではない、本は読んだ。しかし、今まで読んできた小説や評論は読まなかった。2007年私が一番読んだのは英語関連の本である。2007年は人生の中で一番英語を勉強した年となった。このブログが長い期間更新できなかったのは、その大半を英語学習の時間にあてたからである。理由は至って簡単。すぐれた英語教師になりたい、本当の意味でプロと呼ばれる英語教師になりたい、そう思ったからである。同時に言葉を見つめていきたいと思った。教師として、そして脚本家としても。英語に本気で向かうことで、日本語を相対的に見つめ直したいと思った。研ぎ澄まされた言語感覚を身につけたいと思った。

 英語の学びの中で続いているものが結構ある。そのうちの一つは英字新聞を読むことだ。THE DAILY YOMIURIの定期購読を始めてかれこれ2年。ほとんど毎日と言っていいほど読み続けている。私の1日は英字新聞で始まると言っても過言ではない。よほど忙しい時を抜かして、少なくともトップニュースは読むようにしている。

 学校への行き帰りの車の中は、英語関係のCDを聞いている。ラジオ講座の「ビジネス英会話」「英会話上級」「徹底トレーニング英会話」をよく聞いている。英検1級関連のCDもよく聞いた。まだ受験には至っていないが、近いうちにと考えている。休みなどは1日10時間以上勉強することも数多くあった。

 英語関係のテレビ番組も、よく見た。2005年までさかのぼるが、毎回欠かさず見てきたのは次の番組。

ハートで感じる英文法   大西泰斗 ポール・マクベイ
ハートで感じる英語塾   大西泰斗 ポール・マクベイ
新感覚☆わかる使える英文法  田中茂範 
新感覚☆キーワードで英会話  田中茂範
英語でしゃべらナイト 

 ラジオ番組は時間的に聞けないので、テキストとそのCDを聞いている。テキストをずっと読み続けているのは次の3つ。

ビジネス英会話
徹底トレーニング英会話
英会話上級

更に、今までの英語教育を根幹から変えることができるという思いから、「ハートで感じる英文法」の大西泰斗の本を買いまくり、読みまくった。読んだ本は次の通り。

ネイティブスピーカーの英単語 1 基本動詞
ネイティブスピーカーの英単語 2 動詞トップギア
ネイティブスピーカーの英単語 3 形容詞の感覚
ネイティブスピーカーの前置詞
ネイティブスピーカーの英語感覚
ネイティブスピーカーの英会話
ネイティブスピーカーの英文法絶対基礎力
ネイティブの感覚がわかる英文法
いつのまにか身につくイメージ英語革命
英文法を壊す
ハートで感じる英文法
ハートで感じる英文法会話編

学びは苦しい、でも楽しい。最近、そんな学びの楽しさがようやくわかってきた気がする。

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2006年2月 5日 (日)

『学力を育てる』(志水宏吉 著) 叱るのではなく怒る

 『学力を育てる』(志水宏吉 著 岩波新書)には「効果のある学校」=「人種や階層的背景による学力格差を克服している学校」の取り組みについての考察がなされている。そして「効果のある学校」の特徴として「教師がよく怒る」ということが書かれている(それと同時に「教師がよくほめる」ことも書かれている)。

 著者は「効果のある学校」の先生の、「『叱る』ではなく、うちでは『怒る』んです」という言葉を紹介している。最近は生徒が「先生、怒ってはいけないんです、叱らなければならないんです」などと怒る先生を諭すことがあるという。
 確かに憎しみが子供に向けられ、感情的に怒ることがよいことであるはずがない。しかし、子供は叱ることで伝えたいことが伝わるわけではない。人間としてやってはいけないことをしたときは、言葉で言って聞かせるだけでなく、その行為に対して怒っているということを示すことも時として必要だ。

 「子供を大切にすること」と「子供を怒ること」を対立概念としてではなく、同じ方向性として捉えた点に共感する。

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2006年2月 3日 (金)

『学力を育てる』(志水宏吉 著) 太陽であると同時に大地である教師

 『学力を育てる』(志水宏吉 著 岩波新書)を読了した。多くの教師が読むべき本だと感じた。

 著者は学力の3つの要素を「学力の樹」というイメージを使って説明する。葉が「知識、理解、技能」、幹が「思考力、判断力、表現力、論理構成力」、根が「関心、意欲、態度」。そして「三つの学力が文字通り一体となって、ひとつの学力の樹を形づくっている」ことを説明していく。「学力の樹」は、学力とは何かをイメージする上で大変有効である。

 教師は「太陽」とも「大地」ともなりうる存在である。「太陽」となって強い指導力を発揮し、子どもたちにさまざまな知識や技能を伝えることをしなければならない。それは「指導」という働きかけである。また「大地」となって、彼らと信頼関係を築き、彼らにチャレンジさせたりすることを通して、彼らの根っこや幹や枝を太らせようとしなければならない。それは「支援」である。

 「教師は指導でなくて、支援をしなければならない」というような主張をする人が犯している間違いは、指導と支援を対立概念と捉えていることである。そして、そのような主張をする人たちが学力の樹を痩せさせている。志水氏が主張するように「指導」と「支援」は、どちらが重要というような対立物ではなく、相補的であるべきものである。

 私が尊敬する大村はま先生が取り組んできたことが、志水氏が主張する「学力の樹」を育む教育なのだと感じた。葉と幹と根のどれが大切というのではなく、どれも大切にしていく姿勢。私は英語教育において、その有効な手だてをもう一度考え直してみたいと思う。

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2006年1月31日 (火)

『五輪書』~再度『スイングガール』的な笑いについて考える~

宮本武蔵著『五輪書』を読んだ。そして次のような言葉に出会った。

観見(かんけん)二つの事、観の目つよく、見のめよわく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。

「見る」というのは目もとで見ることだという。それでは「観る」といは以下に観るかといえばそれは心で観ることであるというのである。『スイングガールズ』にはルックスの整ったかわいらしい女の子がたくさん登場する。その女の子達をかわいいとみるのは「見る」。この「見る」目がこのドラマの後ろにあるものを「観る」のを邪魔する。
このドラマの後ろにあるものを「観る」ためには、女の子達のかわいらしさを「見ない」ようにしなければならない。

『スイングガール』に登場する女の子達はモラルを欠いたひどい少女達である。

『スイングガールズ』の女の子達には変容がない。性格は全然変わらない。かわるはずはない、その性格は作者にとって変容する必要がないものだから。その性格は笑いの材料として監督にとって不可欠なものである。彼女らが変容させていくのはただ単に楽器の演奏力のみである。その演奏力が伸びると同時に、彼女らの内面がかわることもない。『スイングガール』は外面的な成長のドラマではあるが、内面的な成長のドラマではない。

このドラマは見た目のかわいらしさは観ること妨げるということを教えてくれる。

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2006年1月30日 (月)

『笑い』(ベルクソン著)と『スイングガール』との親和性~笑いについて考える・その2~

 哲学者ベルクソンの『笑い』を読んだ。しかしそれはまったく私の心に響いてこなかった。その理由の一番はベルクソンがその正体を表現しようとしている笑いの多くが、私が昨日ブログで批判した『スイングガールズ』的な笑いであったからだ。彼は「往来を走っていた男がよろめいて倒れる、そのことを通行人が笑う」という笑いを丁寧に分析する。要するに彼が分析しようとしている笑いは、私にとっては笑いでないことが多い『スイングガールズ』的な笑いなのである。
ということはベルクソンの言葉から『スイングガールズ』的な笑いについて、考えを深めることができるのかもしれない。そう思い、何度も何度も読み返してみた。

 ベルクソンは次のように語る。

笑いには反響がいるもののように思われる。笑いをよく聞いてみたまえ。それははきはきした、明瞭な、くっきりした音ではない。それは隣から隣へと反響しつつ長引いていこうとする何か、ちょうど山中の雷鳴のように、最初爆発すると、ごろごろと鳴り続けてゆく何かである。

 なるほど、確かにそうだ。多くのお笑い芸人が求めている笑い、それは隣から隣へと反響していくものだ。人が笑うときには、それも劇場のような所で笑うときにはまわりの空気が、笑いやすいものでなければいけない。笑いやすい雰囲気になると、人は面白いように笑う。笑いやすい雰囲気をつくるのは、ちょっとのことでまわりを気にせずに笑ってくれる人である。それには笑いに対してのハードルの低い人を笑わせるのが一番である。笑いに対してのハードルが低い人、それはまわりの存在を気にすることなく、笑うことができる人である。
まわりの存在を気にすることなく笑える人、そんな人の多くが一発芸の笑いが好きな人であるということは事実であろう。そんな人が、笑うと劇場の中の笑いに対してのこわばりがほぐれてくる。笑いやすい空気が生まれる。

笑いは現実のあるいは仮想の笑い手達とのある合意の、ほとんど共犯とでもいいたいものの、底意をひそめている。

笑いを理解するためには、笑いの本来の環境たる社会にそれをおいてみる必要がある。

笑いは必ずや共同生活のある要求に応じているものに違いない。笑いは必ずやある社会的意味を持っているに違いない。
(以上 『笑い』ベルクソン著 からの引用)

ベルクソンが笑いとしてあげるものにはまったく共感できないが、彼が提示する笑いとその笑いがもたらされる環境についての言及にはなるほどと思うところがある。
私は昨日のブログで『スイングガール』で、監督が笑いとして提示したもので私が笑いの要素としてはどうしても認められないものを示した。それは次のようなものである。

  1. 吹奏楽部の少年が大切な楽器の中に食べたものを吐いてしまう。
  2. 子供たちが下手な演奏している生徒たちに石を投げる。
  3. 主人公の少女が届けなければいけない弁当を一つ食べてしまう。
  4. 主人公の少女が家にあるものを勝手に持ち出して売ってしまう。
  5. 少女たちが弁当を腐らせ、それを食べた吹奏楽部の生徒を全員食中毒にしてしまう。
  6. イノシシに追いかけられ木に登った大柄な少女がそこからイノシシの上に落ち、イノシシの頭蓋骨にひびがはいりイノシシが死ぬ。

「死」や「不幸」がブラック名響きを持つわけでもなく、ストレートに笑いとして提示される。さて、幼児が卑猥な言葉を発するのと同程度でしかない笑いを一つの売り物としている作品が持ち上げられる環境は果たして健全といえるであろうか。その社会的意味を考えるとき背筋が薄ら寒くなる。

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2006年1月29日 (日)

『スイングガールズ』~笑いについて考える~

 昨年『スイングガールズ』(矢口史靖・監督)をみた。ラストで『LOVE』が使われているというのがみた理由だ。当時、『LOVE』という題の劇を作成中であったから。映画の中で『LOVE』は演奏されるのではなく、エンドロールで流れるだけだった。
 さて、多くの人が笑い楽しんだというこの映画、矢口監督の『ウォーターボーイズ』が全くといっていいほど笑えず楽しめなかったので、予想はしていたが笑えない、楽しめない。私一人楽しめないのなら、私が変人ということにもなろうが、幸いなことに?妻も全然笑えず、楽しめず。
 なぜ私たちはこの映画が笑いとして送り出している表現を笑いと感じないのだろう。それを考えてみた。
 そして、この監督と私たちでは笑いの概念が根本から違っているという結論に到達した。

ますこの監督が笑いとして提示しているもののいくつかを挙げてみよう。

  1. 吹奏楽部の少年が大切な楽器の中に食べたものを吐いてしまう。
  2. 子供たちが下手な演奏している生徒たちに石を投げる。
  3. 主人公の少女が届けなければいけない弁当を一つ食べてしまう。
  4. 主人公の少女が家にあるものを勝手に持ち出して売ってしまう。
  5. 少女たちが弁当を腐らせ、それを食べた吹奏楽部の生徒を全員食中毒にしてしまう。
  6. イノシシに追いかけられ木に登った大柄な少女がそこからイノシシの上に落ち、イノシシの頭蓋骨にひびがはいりイノシシが死ぬ。

1.を考えてみよう、自分のクラスでそのように吐いている生徒を見て笑う教師がいるだろうか。いたら大変である。その直後からそのクラスの担任をしていることはできないだろう。
◆それでは隣のクラスなら?
 ー もちろん教師失格である。
悲しいかな、友達が嘔吐することを笑う生徒は存在する。クラスの心が育っていない場合は、多くの生徒が笑うということも起こりかねない。その時は笑わなくても、後々笑いの題材で使うということも起きる。

◆道を歩いている人なら?
 ー教師なら笑うべきではないだろう。
 そう教師は現実の場で嘔吐する人を笑うことはほとんどない。では、そんな教師も『スイングガール』の吐く映像で笑ってしまうのはなぜか。おそらくそれは、吐くということが演技だからであろう。吐くというのは演技であり、その人が本当に苦しんでいるのではないということがわかっているから安心して笑うのである。

 ここで新たな疑問が沸き起こる。それでは、それが演技であるなら、「吐く」ということは笑いに繋がることなのだろうかということだ。私たちに関してはそれは「否」である。

 例え悪いイノシシであってもその「死」は笑いだろうか。石を投げることは「暴力」であるが、それは笑いだろうか。バラエティー番組でよく行われる罰ゲームでは、それを企画する側とその罰ゲームに大声で笑う観客の両方に凍りつく自分がいる。

 バナナで滑って人が転ぶ。これは笑いか?人の失敗は面白いというのは多くの人にとって真理である。私もそれが笑いの一要素となり得ることは認める。しかし、私は人がただバナナで滑って転ぶだけではおかしくない。私はバナナで滑って転びそうな人が月面宙返りをして見事に着地したらおかしい。きっと大いに笑うだろう。それは見下した笑いではなく尊敬を含んだ笑いである。(ちなみに私はプロ野球のファインプレーの特集は大好きだが、珍プレー特集は大嫌いでテレビを消してしまう)

 平田オリザはその著『演技と演出』でスイングガール的な笑いを一発芸の笑いと定義する。そしてそれは持続しても5分程度で終わってしまう瞬間的な笑いであり、決して演劇的な笑いではないという。一発芸の笑いは、幼児の下ネタと同レベルの笑いである。子供かわいさに下ネタを笑い続けると、それが本当の笑いと認識する子供が育つ。
  学校が荒れていると、そんな下ネタの落書きが目立ってくる。心が荒んでいると、そんな笑いばかりがはびこる。私は現実であろうと虚構であろうとそのような表現を笑いとは考えない。
 私はそんな一発芸ではない演劇的な笑いを提示したい。しかし、一発芸に慣れた人たちにはそれは笑いではないのだろう。

◆◆◆

笑いについて考えを深めたいと思い、哲学者ベルクソンの書いた『笑い』(岩波文庫)を一気に読んだ。

 

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2006年1月25日 (水)

肩書きについての考察~学校カウンセリング上級研修会終了~

 平成17年度学校カウンセリング上級研修会のすべての課程を修了した。カウンセリングの上級を終了したということは一つの肩書きとなる。
 今朝の読売新聞編集手帳にバーナード・ショーの肩書きについての警句が紹介されていた。

「小人は肩書きを汚し、中人は肩書きとともに現れ、大人は肩書きを邪魔にする」

 教師になったばかりの自分は、肩書きというものを嫌った。肩書きではなく中身で勝負することこそプロの教師の歩むべき道と考えた。しかし…
  今の私は肩書きは使いようで、肩書きに合った、または肩書き以上の自分があればよいのだと思っている。
 カウンセリング上級研修会に参加する前から河合隼雄の著作を読みあさるなどカウンセリングの勉強は独自で進めてはいたが、初対面の人に私がそのような知識をある程度もっていることを伝えるのは時間がかかる。カウンセリング上級修了者という肩書きによって、「私が上級終了程度の知識がある人である」という前提から対話を始めることができるということは、時間を短縮するという意味で有意義である。

 現在の私は肩書きとともに現れる中人に属することはできるのだろうか。将来、大人になれる日が来るのだろうか。ただ、大人になるには、肩書きが邪魔になるほどの大きな肩書きが必要なのだろう。

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