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2013年9月に作成された記事

2013年9月15日 (日)

架空脚本講座「子どものための脚本の書き方~七つ森の子どもたちを通して」

架空脚本講座

  「子どものための脚本の書き方~七つ森の子どもたちを通して~」

 

◆プロローグ

 今日は私の脚本講座にいらしていただき、ありがとうございます。

 私は、この10年ずっと「七つ森の子どもたち」を脚本を通して描き続けてきました。そして、これからもライフワークとして七つ森という架空の場所で生きる子どもたちのドラマ・人間模様を、描いていくつもりです。

 「七つ森の子どもたち」のシリーズは、子どものための脚本です。もちろん「観客としての子ども」のための脚本でもあるのですが、私の中ではそれ以上に「劇を演じる子ども」のための脚本なのです。

 私はこのシリーズを、特に中学生が演じることで輝く作品として創り続けています。これから私がお話しするのは「劇を演じる子どものための脚本の書き方」ということになります。

◆はじめに演劇部員ありき

 今の私は、純粋に脚本を書くという目的では脚本を書くことができません。過去にはそのような取り組みをしたたこともありますが、満足した脚本は生まれませんでした。

 私は、目の前に演劇部員がいないと満足のいく脚本が書けないのです。私の脚本を楽しみに待っていてくれる演劇部員を感動させたいという思いが、脚本を書く原動力となるのです。

◆涙

 心優しい部員に、脚本の感想を求めれば、もし脚本のできがよくなくても、「よかったです」と言ってくれるはずです。だから部員の感想は脚本の良し悪しの目安にはなりません。

 私が脚本の良さの判断にしているのは涙です。「感動した」という言葉を感動しなくても使うことはできますが、感動の涙を演技してまで流してくれる人はそうはいません。生まれたての脚本を手渡した時に、その脚本を読みながら部員の目から流れ落ちる涙。その涙を見たいという思いが私を突き動かすのです。

 私が今まで創ってきたすべてのドラマに共通して求めてきたことは感動の涙であり、これからもそんな涙を大切にしていくことでしょう。

 実のところドラマに涙を求める私は、どうも涙を売りにするドラマとの相性がよくないようなのです。号泣を売りにした映画や劇に感動したことはないと言っていいのです。

 私は子どもの頃から泣きたくなるようなドラマに惹かれ、号泣という言葉で紹介される映画やテレビドラマに飛びついてきました。しかし、必ずと言っていいほど失望してしまうのです。

 そんな私にも涙なしでは観ることができなかったドラマが多数存在します。そのほとんどが涙を売りにしたドラマではないのです。私は人のあたたかさや優しさに触れた時に涙を流します。私が大切にしている涙は、人のあたたかいところ、優しいところに触れた時に流れる涙なのです。そしてそれは、号泣ものにありがちな安っぽい涙ではないのです。

◆保護者ありき

 今の私が観客として一番意識しているのは誰だと思いますか。芸術家?批評家?そうではありません。私にとって一番大切な観客は部員の保護者です。リハーサルの時から誰かしら観に来てくれる部員の保護者が、私の一番大切にしている観客です。一度だけでなく二度三度、中には初めてのリハーサルから本番までずっと観に来てくれる保護者もいます。

 私は何度観ても感動できる、何度観ても泣ける劇を生み出す脚本を創りたいと思っています。家庭での会話が劇の話題で持ちきりになることを私は願っています。

◆中学校の教師が書く脚本

 中学校の教師で脚本を書く人の多くは、同時に劇創りにも関わっていると思います。私もそうです。これからお話ししていく脚本創りは、演出も行う一人の中学校教師が取り組んでいる脚本創りだということをお断りしておきます。  

 最初にお話しした通り、中学校の教師である私が、ずっと目指してきたのは中学生を含めた子どもが上演することで輝く劇創りです。「七つ森の子どもたち」の登場人物のほとんどは中学生と小学生です。子どもが本当に魅力的に子どもを演じたときの輝きは、大人がまねをできるものではありません。だから私は子どもを主人公にしたドラマを創ります。

 私は、中学生のだれもが、一般の大人が考えている以上に素晴らしい力を持っていると思っています。とりあえず人の前でそう言っているのではなく、本気でそう思っているのです。だから「中学生が演じるのだからこの程度でいいだろう」という脚本は、目の前にいるすてきな中学生に失礼なので書きたくありません。

 だからこそ子どもを描く際に、ありきたりで単純な描き方はしたくないのです。私の脚本の中で使われる言葉には時にさまざまな意味が与えられます。『森の交響曲』の中で使われる「嫌い」という言葉は、その言葉通りである時と、「好き」という気持ちと「嫌い」という気持ちが同時に含まれる時があります。 

 台詞にはさまざまな感情が交錯する複雑な思いを担わせます。『春一番』では、主人公・由美子の生徒会長を思う優しい気持ちから生まれた言葉が、一番の親友・みゆきを傷つけます。そして、その傷ついたみゆきが由美子に投げかけた言葉は、由美子だけでなくもう一人の友だち・ひろみも傷つけてしまいます。

 『ときめきよろめきフォトグラフ』の主人公・夏美は、思ったことをずけずけ言う先輩・愛の言葉を遮って、愛に自分の思いを話しますが、それは愛に伝えたい思いではなく後ろで聞いているゆき絵に伝えたい思いです。

 『ふるさと』の二人の少女・里美とみなみは、クラスの中で仲間はずれにされていますが、それぞれの思いを直接は語りません。里美は、一緒に物語を創ることをみなみに提案します。里美はひばりという登場人物に自分を重ね、みなみは、すみれという登場人物に自分を重ねます。そして二人は、その登場人物を通してそれぞれの思いを語っていきます。

 私が創りたいのは、ちまたにあふれるかっこいい台詞が詰まった脚本ではありません。私が創りたいのは、噛めば噛むほど味が出る表現のもととなる何かが書かれた脚本です。表現のハードルは高くなりますが、ハードルが高いほどそれを越えた時の喜びは大きくなるはずです。子どもたちは、それを見事に表現する力を持っているのです。

◆はじめにイメージありき

 さてここからは、私の脚本創りを具体的にお話ししていきます。私は、脚本を書き始める前に三つのイメージを思い描きます。「全体のイメージ」「ドラマのイメージ」「舞台のイメージ」です。

 『ふるさと』の「全体のイメージ」は、「演じた人、それを観た人が元気になる劇」「音響、照明がなくてもできる劇」「オープニング、エンディング、場面転換で『故郷』が歌われる劇」「震災で被災した人を思いながら描くのだが、内容は震災とは全く関係のない劇」です。

 
 「全体のイメージ」に続いて「ドラマのイメージ」を形作っていきます。『ふるさと』のそれは次のようなものです。

 ◆主人公は古川里美。ドラマの最後で彼女は『ふるさと』と呼ばれるようになる。彼女が転校してきたことで、故郷が嫌いだった生徒たちが故郷を好きになる◆

 そして「舞台のイメージ」です。私は舞台セットの具体的なイメージを持ってから脚本を書き始めます。頭の中に舞台がイメージできないとドラマが生まれてこないのです。

 『ふるさと』の舞台セットは教室です。子どもたちは全員が観客に背中を向けて座っています。この設定だからこそ生きる台詞があります。

 『ふるさと』の主人公・古川里美は、心の中に自分を見つめる観客をイメージしている少女です。彼女がそのことを説明した後、客席に背を向けて座っている生徒全員が振り向いて観客席を見ます。この時、実際の観客は同時に登場人物たちの心の中の観客として劇に参加することになります。この振り向く表現がとても重要であり、これを実現するために生徒全員後ろ向きで座る設定が必要となります。

 そのため、他のシーンもこの設定を考慮して台詞と表現を創っていきました。この設定でもみんなが客席に顔を見せられる状況を創ります。登場人物がずっと観客に背中を向けているわけにはいきません。

 『青空』の舞台セットは、戦争に関する文化祭の展示に囲まれた教室です。戦争を体験していない子どもたちが戦時中のことを知識として語るのは不自然です。ただ展示に書かれたことなら、それを読むことができます。戦争の展示と台詞は密接な関係を持つのです。

 舞台のセットが変われば、それとともにドラマも変わります。台詞や表現も変わってしまいます。私にとっては、舞台セットを決めてから脚本を創ることが効率的なのです。

◆登場人物決定と登場人物表

 さて、続いて登場人物の決定です。ドラマの中心となる登場人物は「ドラマのイメージ」が形になる段階で決まっています。私は部員全員を舞台に上げますので、ドラマが本格的に動き出す前に人数分の役を創らなければなりません。私の頭の中で部員が役を演じ出すようになって、ドラマは動き出すのです。

 登場人物の決定と平行して登場人物表を作成します。ここに書き込まれるのは「①名前②年齢、学年、職業③性格④劇の中でのその人物のドラマ⑥話し方などの特徴」等です。

『ふるさと』の主人公・古川里美を例として紹介しましょう。

① 古川里美
② 小学5年生(11歳)
③ いじめを見て見ぬふりをすることができない。ずばずばものを言うが繊細でもある。
④ 関西から二つ森小学校に転校してきた。転校したその日から学級委員に立候補して学級委員になるが、そのクラスで仲間はずれにされる。しかし、めげずにそこで青春ドラマを目指す。彼女はクラスがまとまった後で転校していく。ラストで「ふるさと」と呼ばれるようになる。
⑤ 関西弁を話す。先生に話すときと仲間に話すときでは話し方を変える。

◆アイディアノートと資料集め

 私はいつもアイディアノートを持ち歩いています。いつアイディアが浮かぶかわからないからです。枕元には大学ノートが置かれています。どこかに出かけるときなどはメモ帳をいつも持ち歩いています。アイディアは思いついた時に書きとめなければいけません。後で思い出そうとしても思い出せないことがあるからです。

『ふるさと』に関してアイディアノートに書き込まれた中には次のようなものがあります。

●古川里美=ふるさとと呼ばれるようになる。
●しりとりを使う。しりとりの最後は「ふるさと」「ともだち」となる。
●自分を劇の登場人物として客観視できる主人公。いじめをしていた生徒も自分自身を劇の登場人物として見つめるようになる。

 何冊かのアイディアノートに書かれたことはパソコンに打ち込まれ一つにまとめられます。アイディアが生まれると、それに伴ってそのアイディアを生かすための資料が必要になります。

 この時期にはたくさんの本を読み、インターネット等も利用して様々な資料を集めます。集めた資料は、パソコンの中に取り込まれます。最終的にはアイディアノートに書かれた内容や集めた資料の多くは使われません。

 『ふるさと』は、当初1985年のドラマとして構想されました。1985年の資料を集め、そこから様々なアイディアが生まれましたが、最終的に現代のドラマとして創ることに変更したため、苦労して集めた資料と絞り出したアイディアを使うことはできませんでした。でも、それを惜しんではいけません。よりよい脚本を創るためには、膨大な数の採用されないアイディアと資料が必要なのです。

◆プロットとトンネル

 さて、アイディアノート創りと同時進行でプロットの作成を進めていきます。プロットはあらすじとは違います。私にとってプロットは劇の骨組みのようなものです。私はプロットに、アイディアや必要な資料などを次々と打ち込んでいきます。次第次第に劇の全体像が見えてきます。

 さて、作品の骨格ができあがったら、いよいよ脚本創りです。私にとっての脚本創りはトンネルを掘って繋ぐ作業に似ています。両側から掘り進めていき途中でそれを一つに繋げるのです。両側というのは入り口と出口、脚本ではオープニングとラストです。

 私はラストから書き始めます。ラストがしっかり決まったところで、オープニングからラストに向かって掘り進めていくのです。プロットを基に掘り進めていくわけですが、毎回すんなりトンネルが繋がるわけではありません。ラストに向かうどころか、全然違った方向に進んでしまうことが頻発します。私にとってはトンネルを繫げることが、脚本を創る上で一番苦しむ作業となります。

 私はパソコンのワープロソフトを使って脚本を創ります。脚本のための新しいファイルを用意したりはしません。プロットが打ち込まれた文章に、台詞がどんどん加えられ、最終的に完成した脚本となるのです。

 ここで大切なことは、新たな作業を始める前に、それまでに作った創作ファイルをその日の日付を題名にした新しいファイルとして保存することです。そうすることでその日までの創作過程を残しておくことができます。使わないと決めた台詞を、後になって使いたくなるといったこともしばしば起こりますので、一日一日の創作過程を記録しておくことはとても大切なことです。

◆4色ボールペン

 ある程度まとまった台詞が打ち込まれたところで、私はそれを印刷します。そして、印刷された脚本を推敲していきます。この時活躍するのが4色ボールペンです。

 推敲は基本的に赤を使って行います。ただ新たに対話を書き加える時は、一人目の台詞に赤、その相手の台詞に青を使います。三人目、四人目の台詞が加わるときには、赤と青をうまく使い分けて後で読み返したときに理解しやすいように工夫します。また、ト書きを書き加える時には緑を使います。

 続いて、推敲した部分と書き加えた部分を再びパソコンに打ち込んでいきます。そしてその日の日付を題名につけて保存します。そして、それをまた印刷するのです。

 紙上で推敲し、それをまたパソコンに打ち込むことは、パソコン上で推敲することに比べて手間がかかり能率が悪いのではないかと思われる方もいるかと思いますが、それは違います。紙に印刷することでドラマ全体の把握が容易になります。また4色ボールペンを使って推敲することで、どこをどう直したのかが一目瞭然となります。私は思いついた表現のイメージを絵で描くこともあるので、その点でも紙が役に立つのです。

 パソコンを使って脚本を創り、印刷し、紙ベースで推敲・加筆し、それをパソコンに打ち込み、印刷し…という作業を納得のいくまで繰り返します。毎回、10回以上この流れを繰り返すことになります。

◆声に出す

 この推敲作業中、私は脚本に書いた台詞を声に出して読みます。黙読した時は何も感じなかったのに、声に出して読むことで黙読では気づかない言い回しの不自然さ、言いにくい言葉に気づくことができます。

 また、台詞の響きに違和感を感じることもあります。違和感の原因としては、登場人物の性格や特徴に合っていない台詞が挙げられます。声に出して読んでいくことで、それらが浮かび上がってくるのです。

◆第一稿の配布

 ある日、トンネルは一つに繋がります。繋がった後も推敲は必要で、その作業に終わりはないのですが、どこかで終止符を打たなければなりません。

 私は、私自身が自分の創ったドラマに深く感動するようになった時、とりあえず終止符を打ちます。そして、できあがった脚本を第一稿として印刷し、部員に配布します。この時、はじめにお話ししたような感動の涙が生まれれば、部全体のモティベーションが高まり、劇創りは一気に進みます。

  私は、配布したその日から身体表現や感情表現を伴った立ち稽古を行います。最初は脚本を手に持って練習しますが、シーンのイメージがつかめたところで、脚本を持たずにドラマ創りをしていきます。この時点では台詞の正確さより役のイメージをつかむことを重視します。その方が台詞一つ一つに生命が宿ると思うからです。

  当然脚本通りの台詞にならないこともあります。ただ脚本通りでない台詞の響きが、私が書いたそれよりよいと感じることも多々あるのです。それは現代の中学生が実際に使っている生きた言葉なのです。そして、本人にとって言いやすい言葉であったりもするのです。

 私は部員が使った言葉を書き取り、特に差し障りがないと感じたときはその言葉を採用します。私の脚本は、部員との共同創作でもあるのです。

◆第二稿から最終稿へ

 

 このようにして台詞の変更が多くなると、第一稿を使い続けることで指示が伝えにくくなるということが生じます。そのため第一稿を修正した第二稿を印刷し部員に配布します。多くの場合この作業は、第三稿、更に第四稿と進んでいきます。『ふるさと』の最終稿は第六稿でした。

◆行き詰まったら

 素晴らしい脚本がいとも簡単に生み出せたらどんなにいいでしょう。しかし、そんな魔法は存在しないのです。ドラマがまったく動かなくなる日が、必ずといっていいほどやってきます。

 そんな時、ただ机に向かって頭をかきむしっても状況を打開するアイディアは生まれてきません。私はそんな時はあえて机から離れます。ある時はジョギングをします。ある時は山に出かけます。あるときは気に入った音楽をかけ、その世界に浸りながら台詞を考えます。特に車の中で音楽を聴く時に、不思議とよい台詞が浮かんできます。

 最近は温泉に行くことが多いです。創作のためだけに使っている小型のパソコンを持っていきます。行き詰まって身動きが取れなくなった時、温泉は何度も私を救ってくれました。温泉につかっていると頭の中に凝り固まっていた何かがわーっと溶け出し、その向こう側からアイディアが浮かび上がってくるのです。

◆エピローグ

 この中にはみなさんのためになるところもあると思いますが、そうでないところもあると思います。私はその見分けがつきません。もしかしたらほとんどがそうでないところなのかもしれませんが、この架空脚本講座のほんの一部分でも、みなさんのほんとうのたべものになればいいと願っています。

 本日はご静聴ありがとうございました。

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