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2011年2月10日 (木)

『春一番』あとがき(『演劇と教育』2008年10月号)

『春一番』あとがき(『演劇と教育』2008年10月号)

◆◆◆◆◆

  「中学生は変わった」と耳にすることがある。そしてその言葉は「昔と較べて悪くなった」という響きを伴っている。時代と共に人間は変わる。それは当然だ。しかし、その変化は悪いことばかりなのだろうか、私は「No」と主張したくなる。

 私の目の前にいる生徒たちは、魅力に満ちている。その魅力は私が教師になった二〇年前も今も変わることはない。「そんなすてきな現代の子どもたちを簡単に否定させてたまるか」という思いが書かせたドラマがこの『春一番』である。 

  私はこの作品で過去と現代を同一空間で描くことを試みた。それは過去と現代を行き来するような作品ではない。また現代から過去を回想する作品でもない。一九八一年という過去を現代として描いたのだ。 そのためこの話は現代の中学生の話と重なる形で過去が表現される。

 私はどの時代にも共通する中学生の喜び、そして悲しみを描こうとした。そして、一九八一年という過去にもあった「昔はよかった」を、さりげなく皮肉った形で提示した。

  私は、以前十五歳だった人たちには、かつて経験した十五歳が胸に迫り、またこれから十五歳を迎えようとする生徒たちには、これから経験するかもしれない現実問題として胸に迫ってくる劇を創りたかった。

 物語の舞台は七つ森中学校の放送室。登場人物は、受験直前の二月になっても部活を引退せずに放送を続けている放送部員たち。描かれるのはどこにでもありそうな日常。しかし、その日常とは一人一人にとってはドラマの連続としての日常であり、明日はどうなるのかわからない、予定調和ではない日常である。そんな日常をさりげなく克つ劇的に描こうとした。

 『春一番』を一言で表現するとすれば「友情物語」ということになるだろう。明らかに友情という得体の知れないものを扱っている。ただ、私はこの作品を単なる友情物語に貶めたくはないと思いながら描いた。

 登場人物に単なる暖かい風は吹かない。彼女らに吹く風は向かい風である。しかし、その向かい風は木枯らしではない。そう彼女らに吹く風は春一番である。強い砂混じりの風、しかし、暖かくもある風。そんな風をドラマの最後の最後まで吹かせたかった。

  『バッテリー』の作者あさのあつこさんが後書きで次のように叫んでいる。「既成の物語の枠組みに、易々とはめ込まれてしまうような陳腐な物語にして堪るかよ」。深く共感した。

 さて、物語の舞台である七つ森は、最近の私の全ての作品でその舞台となっている架空の場所である。ここ五年間のうちに創った、または再演した劇は全てこの七つ森を舞台にした作品である(『ときめきよろめきフォトグラフ』『なっちゃんの夏』『青空』『降るような星空』そして新作『春一番』※いずれも「演劇と教育」誌上に掲載された)。

 『春一番』の主人公・松本由美子は二〇〇一年の未来の自分に向けてのメッセージをテープに吹き込みタイムカプセルに入れる。彼女は今どうしているのか?気になるところである。私はそこは観客の想像にゆだねられるべきだと考えた。だからこの作品では描かなかった。

 ただ、彼女がどうなったかについては七つ森シリーズの第一作である『ときめきよろめきフォトグラフ』に描かれている。DJを夢見た彼女は、DJにはならない。彼女は、母校である七つ森中学校の先生となったのである。そして教師としの彼女も、その優しさ上に悩み、苦しむことになるのである。

 台本渡しは真剣勝負の場だ。部員に台本を渡したのは昨年のクリスマスイブ。部員全員が静まりかえった部室で『春一番』を読み始めた。私は、それを静かに、内心どきどきしながら眺めていた。静かな静かな時が流れていった。

 読み始めてから十五分くらいたったとき、部長の目から涙がこぼれ落ちた。その後は何度も何度も目をこすりながらページをめくっている。そして全部を読み終えた後、突然立ち上がり、私の前に歩いてきた。みんなが部長を見つめる。「先生、ありがとうございました」。彼女は深々と礼をしてそう言った。『春一番』が動き始めた。

 関東演劇コンクールでの発表後、審査員の一人である井上弘久さんのブログに『春一番』の感想が載った。その一部を紹介したい。

「3月27・28の両日、横浜桜木町にある神奈川県立青少年センターで、関東中学生演劇発表会がありました。(中略)  二日間のラストに演じられたのは埼玉の久喜中学校の『春一番』。これはね、演劇をやっている中学生には是非見てもらいたい劇でしたね。というか、演劇やっていない中学生にも、いえ、中学とか演劇とかに関係ない大人にも見せてあげたい、本当に素敵な素敵なお芝居でしたね。…と、こう書き出しただけで、演じていた中学生の表情とかが頭の中に漂い始めて、思わず目の裏がウルウルしてきます」

 創造の中で苦しみ、悩んだこともあったが、今、春一番に向かって歩いてよかったと思う。

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