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2011年1月29日 (土)

2008年の日記に思う

 今日は午後からリハーサル、午前中、過去に書いたブログを読んで過ごした。2008年1月10日のブログと再会した。

 難病もののほとんどを嫌う自分ではあるが(その代表作は「ジョーイ」「ある愛の詩」)、難病ものを否定するわけではない。私自身「降るような星空」という作品を若い頃に書いている(主人公の弟が難病で死んだことが回想で提示される。主人公がラストで死ぬ難病ものとは違うが…)。ただ今の自分は感動の単なる道具として機能する難病ものは書かないだろう。難病に向き合うということは、本人にとってもその周りにとっても、単にきれいごとではすまされないのだ。
 難病ものの多くが死を、美化していると感じる。そんな難病ものではない難病ものが描ければ描いてみたい気もする。

 難病ものの多くで泣いたことがない、感動したことがない自分。それどころか死を軽んじていると怒ることが多かった自分。そんな自分が、難病の子どもが登場する劇を書いた。『とも』には、たくさんの棘が隠されている。

 『降るような星空』を書いた直後の自分がこの作品を観たら、どんな気持ちになっただろう。恥ずかしい気持ちになっただろうか、怒りでいっぱいになっただろうか、それともそんな気持ちを超えて感動しただろうか。

 いよいよ本番だ。

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