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2011年1月13日 (木)

苦しい時こそ我が見せ場2  長い前置き

  久喜中演劇部は今まで関東大会で何度か最優秀賞をいただいた。昨年は金賞を受賞した。第1回の受賞をのぞいて彼女たちは感情を表に出すことなく受賞発表を聞いていた。その予選となる東部地区大会でもそれは同じである。私たち久喜中のことをよく知らない人は誤解するかもしれない。彼女たちは最優秀脚本賞受賞を当然と思っているのだと。でも、それはあり得ない。100%ない。私は彼女たちに「受賞の時、喜んではいけない」などと言ったことはない。最優秀賞を受賞した後も全然喜びの叫び声や涙を見せない彼女たちを遠くから眺めて、これは誤解されるなと心配してるというのが本音である。運営側でもある自分はもっと喜んでもらいたいと思う。その方が大会の最後を飾る場として絵になるからだ。しかし、彼女たちはそうしなかった。訳もわからず出場した第1回の大会をのぞいて。
彼女らは喜んでいるのだ。とても喜んでいるのだ。しかし、彼女らがその喜びを表現するのはホールを離れ自分たちだけになった時なのだ。
どうしてそうなのか、そのことについて彼女らと話したことがないので想像なのだが、受賞時の彼女らの行動は久喜中のオーディションの在り方とリンクしているのだと思う。久喜中のオーディションにむけての練習はすべてオープン、秘密練習などというものをよしとしない。私の前で演技を見せるものにはアドバイスをするのだが、そのアドバイスは全員が聞くことができ、全員が共有できる。見せない自由もあり、見せないからオーディションで不利になることはないのだが、見せない生徒はいない。このような状況の中、だれもが、部員全員が全力で自分のやりたいと思う役の練習をしていることを理解することになる。
役の決定の場はストイックである。オーディションの後、役は顧問の合議で決定する。選ばれた生徒は立ち上がり礼をする。拍手もない、喜びの声も涙もない。選ばれたことへの喜びの声や涙は、自分同様がんばってきた仲間に対し失礼だと感じるのだと思う。もちろん、やりたい役に選ばれなかった生徒の目にも涙はない。当然悔しい思いはあるであろう。しかし、それは心の奥にそっとしまい込まれる。更に彼女たちは、全員ががんばっているのに一人を選ばなくてはいけない厳しさ、つらさを私が背負っているということも理解してくれる。彼女たちは優しい大人の心を持っている。
そんな彼女たちは、他の学校の生徒たちも自分たちと同じように全力で劇づくりをしていることを理解しているのだと思う。だから、賞に大喜びすることは失礼なのではないかと受賞の瞬間感じるのではないだろうか。だから彼女たちはその喜びを心の奥にとどめてしまうのだと私は思っている。
さて、これは前置きである。自分の悪いくせで前置きが長くなった。これから書くことが今回言葉にして残しておきたいと思っていることである。それは、彼女たちが先日上演した『とも』で関東大会出場を決めた時、思わず涙を流したということである。静かな静かな涙であった。彼女たちは涙を抑えることができなかった。昨年の関東大会で金賞を受賞した時にも泣かなかった3年の元部長も、後輩が関東大会出場を決めたその時、涙を流した。そして、その涙を見た現部長の目からも涙がこぼれた。審査員の先生がその裏にあるドラマを知った時、「それで脚本1本かけますね」と言ってくれた。そのドラマとは…

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