フォト

最近のトラックバック

« 2010年3月 | トップページ | 2011年2月 »

2011年1月に作成された記事

2011年1月31日 (月)

『とも』に届いた感想

 今日私の元に昨日上演した劇の感想が届いた。

昨日は発表会お疲れ様でした。会場で(娘と)友達と一緒に見ることができました。(娘は)途中から泣き出していたようで、終わってからも泣いていました。私も涙を隠すのが大変でした。勉強をしながら、あれほどの劇をやるのは大変なことでしょうね。感心しました。すてきな劇をありがとうございました。

   この感想からは号泣という言葉が連想される。号泣を誘う多くの難病ものへのアンチテーゼとして創った作品が、号泣ではないにせよ涙をさそってしまう。それは私にとって不本意なことではない。私は、この感想がとってもうれしかった。 涙にも様々な涙があるのだから。

 それと同時に「今回は難しかった」という感想も届く。小学5年生、それと私の母。「わかりやすい」という感想と「難しい」が同居している。『とも』はさまざまな解釈が可能な多面的な作品である、と前向きにとらえることにしよう。

2011年1月30日 (日)

市民芸術祭での『とも』

 久喜中演劇部全員が揃った。これが何よりうれしいことだ。

 どきどきしながらも、サッカーアジア杯決勝を見て今日の朝を迎えた。欠席の連絡はなかった。関東の予選の後も、全員揃って通せたのは2回だけ。その2回目が昨日だった。学校でインフルエンザが流行りだし、部員の後ろの席の生徒が発症して早退していたり、部員の家族の中にインフルエンザにかかっている人がいたりという状況。数日前には、予防接種を受けていた部員までが感染した。予防接種もだめか…、目の前が暗くなりかけたが…、その部員は昨日復帰し、光が見えた。

 集合の後、言った。
「今日、一番よかったことは、全員で劇ができることだ」
みんながうなずいた。

 その後、1月24日~1月26日のブログに書いた『とも』に挿入される『サンタが町にやってくる』の場面が、いかにして生まれたかを話した。この話を聞いて、涙ぐんでいる部員もいた。

 本番の舞台、「信じれば、サンタが町にやってくる」と連呼するシーンは、今までで一番よい仕上がりとなった。言葉に魂がこもっていた。

 劇が終わった後、懐かしい顔にたくさん会えた。すてきな感想にもたくさん出合えた。今すぐにでも書きたいことばかりなのだが、それ以上にしたいことがある。
 今1番したいこと。それは寝ること。それでは、おやすみなさい。

2011年1月29日 (土)

2008年の日記に思う

 今日は午後からリハーサル、午前中、過去に書いたブログを読んで過ごした。2008年1月10日のブログと再会した。

 難病もののほとんどを嫌う自分ではあるが(その代表作は「ジョーイ」「ある愛の詩」)、難病ものを否定するわけではない。私自身「降るような星空」という作品を若い頃に書いている(主人公の弟が難病で死んだことが回想で提示される。主人公がラストで死ぬ難病ものとは違うが…)。ただ今の自分は感動の単なる道具として機能する難病ものは書かないだろう。難病に向き合うということは、本人にとってもその周りにとっても、単にきれいごとではすまされないのだ。
 難病ものの多くが死を、美化していると感じる。そんな難病ものではない難病ものが描ければ描いてみたい気もする。

 難病ものの多くで泣いたことがない、感動したことがない自分。それどころか死を軽んじていると怒ることが多かった自分。そんな自分が、難病の子どもが登場する劇を書いた。『とも』には、たくさんの棘が隠されている。

 『降るような星空』を書いた直後の自分がこの作品を観たら、どんな気持ちになっただろう。恥ずかしい気持ちになっただろうか、怒りでいっぱいになっただろうか、それともそんな気持ちを超えて感動しただろうか。

 いよいよ本番だ。

18年後の答え

 18年前に『降るような星空』という作品で晩成書房戯曲賞特賞を受賞した。その時、審査員の一人のふじたあさや氏の劇評が「演劇と教育」誌上に掲載された。

特賞の斉藤俊雄さんの『降るような星空』は、子どもたちの目から観たら抜群のおもしろさを発揮すると思います。非常に巧妙につくられていて、狙っているテーマも含めていい。ただ、弟の病気という設定が、やはり「機械仕掛けの神様」になってしまっているんです。そういう、何か反論できない絶対的な設定をテーマに絡めて出されると、観客は黙らざるを得ないですよね。そういうものを使わないで、あれだけのテーマを提出できればもっとすてきだと思います。

 「機械仕掛けと神様」またの名を「デウス・エクス・マキーナ」。ギリシャ神話の中には、ラストで、機械に乗ってゼウスが現れ、解決の言葉を語り幕となる劇が存在する。機械にのって現れ、全てを解決する神が「機械仕掛けの神様」である。ふじた氏はその解釈を拡大し、ラスト近くで夢を語って死んでいく主人公の弟の存在を、「機械仕掛けの神様」と重ね合わせたのだった。そして、その手を使わなければ芝居は更にすてきになっただろうと語った。

 今と比べて狭い世界で生きていた私は、(その時は、広い世界で生きていると錯覚していたのだが)その言葉の意味することを理解することができなかった。死んでいく弟の存在があるからこそ芝居はすてきになったのであって、それなくしてはこの芝居は存在しない。そう思った。ただ、私は変化した。

 2年前に『斉藤俊雄脚本集 夏休み』を出版した際の後書きに『降るような星空』についての思いを次のように書いた(後書きは架空のインタヴューで構成されている)。

みゆき 今の斉藤先生にとって『降るような星空』はどんな作品なのですか。 
斉藤 主人公の弟の死で感動をとろうとしているところに、気恥ずかしさを感じるね。でも、そのことを含めて、好きな作品だね。

 今回私が新作『とも』で挑んだのは自作『降るような星空』である。友達がライトモチーフとなっているのが共通点の一つだ。病院が舞台となる場面があることも共通点である。難病を患っている子どもが登場する点でも共通している。ただ今回は観客が反論できないような「機械仕掛けの神様」は登場しない、私はそう思っている。

 『とも』は18年前に書かれた、ふじたあさや氏の劇評への答えでもある。

2011年1月28日 (金)

こんな表現あり?

 「事前に脚本を読んで、いったいどのように演出するのだろうと思って観ましたが、この脚本からは想像のつかない演出でした。えっ、こんな表現がありなの、そう感じました」

 これは、関東の予選となった埼玉東部・茨城中学校演劇発表会で上演された『とも』の演出に対しての講評である。

 『とも』を家に例えれば、屋台骨は、現実世界と登場人物の頭の中にある世界が一つの舞台上に共存し互いに影響を与え合うというコンセプトとなるだろう。そこに子どもたちのドラマが加わって一軒の家が築かれる。10年以上前に、ある人の心の中に存在する劇世界を舞台上で表現する劇を2本作成した。『雪物語』と『森の交響曲』という作品だ。そのときは、劇世界を思い浮かべる人は舞台端の目立たないところに座っていた。一昨年の11月に上演した『魔術』で、私は劇世界を思い浮かべる人を舞台中央に位置させた。今回の『とも』はそんな試みを更に発展させた劇だ。さてそれはどんな家になったのだろう。

 他校から寄せられた感想の多くは「感動した」であったが、次に多かったのが、「話がわかりやすかった」という感想だった。

 多くの劇に触れていない中学生からは「わかりやすい」という感想が届き、多くの劇に触れた人からは「こんな表現がありなの」といった感想が届く。「わかりやすい」と「こんな表現ありなの」の共存。この共存も劇の狙いの一つだった。これってあり、という作りでありながら住みやすい家。そんな家になっているといい。

 『とも』は1月30日(日)15時、久喜総合文化会館小ホールで上演される。入場無料。是非観にいらしてください。

2011年1月27日 (木)

思い出を生かす

 『マルテの手記』は高校生の時愛読した本だ。難解ではあったが、心惹かれる箇所が多数あった。30年以上前に買った新潮文庫版は、今見ると字が小さく、老眼が始まった私にとって読みやすくはない。その読みにくい本を、読み返した。アンダーラインが引かれた箇所の多くは、今でも心惹かれるものだった。

「思い出を生かすためには、人はまず年をとらなければならないのかもしれない」

 高校生の私はこのような文章にアンダーラインを引いていたのか。『マルテの手記』を読んだのは17歳、私は若かった。今、アンダーラインが引かれたこの文を読み、これは17歳の私が、今の私に送ったメッセージなのではないかと思った。

 私は昨年秋、50歳になった。50歳は、思い出を書くのが似合う年齢かもしれない。

 『マルテの手記』に書かれた「思い出を生かすことに取り組んでみたい。ただ、昔を懐かしむだけの思い出ではなく、今につながる、そして今の自分に力を与えてくれる思い出を書きたい。その日のことが語られるのではなく、その日に胸に去来した思い出が語られるブログがあってもよいのではないか。昨日まで書いたブログ『サンタが町にやってくる』は、そんな思いを胸に書いた。

2011年1月26日 (水)

サンタが町にやってくる 3 後日談

 『サンタが町にやってくる』には後日談がある。クリスマス会での上演後しばらくして、ライオンズクラブという団体から、私たち演劇部の取り組みについて会合で話をしてほしいという依頼があった。私は、『サンタが町にやってくる』を上演したクリスマス会の話をした。

 話が終わった後、突然、会のリーダーである医者の方が立ち上がって言った。
「話を聞いて、今私はとても感動しています。みなさんに私からお願いがあります。こんなすてきな活動をしている演劇部を私たちで支援したいと思うのですが、いかがですか」

 大きな拍手が起こり、帽子が回された。みながその帽子の中にお金を入れ、最後にその帽子は私に渡されたのだ。帽子の中には10万円ものお金が入っていた。もちろん私は、丁寧にお断りした。しかし、「ぜひ有効に使ってください」ということで、私たち演劇部は、そのお金をいただくことになった。

 その後、どのようにそのお金に込められた気持ちに応えたらよいか、ずいぶん悩んだ。最終的に、私は久喜市にある総合文化会館の小ホールを借りて劇を上演することにした。上演劇は『夏休み』。発表当日、会場は満員立ち見となった。クリスマス会の関係者もライオンズクラブの方もたくさん観に来てくださった。

 今思う。『サンタが町にやってくる』という劇そのものが、私たちにとってサンタだったのではないかと。この劇のおかげで私たちはたくさんのプレゼントをもらった気がする。

 1月30日(日)に『とも』を、思い出深い久喜市の総合文化会館小ホールで発表する。20年前に『サンタが町にやってくる』を上演したあの時の気持ちを思いだし、現在の部員とともに『とも』を上演したい。

2011年1月25日 (火)

サンタが町にやってくる 2

 翌日の部活で部員達に聞いた。
「どうだった」
突然部員の一人が泣き出した。昨日、朝から熱っぽく体調が悪かった生徒だった。話を聞くと。劇の途中で台詞が出てこなくなり、劇が止まってしまったのだという。子どもたちのために最高の舞台をやろうと臨んだのに、自分自身満足のいく劇ができなかった、それが悔しいというのだ。私は本番の劇を観ていないので、どうコメントしてよいかわからなかった。

 数日後一通の手紙が届いた。クリスマス会の実行委員長からの手紙だった。お礼の言葉がたくさんたくさん詰まったあたたかい手紙だった。私はその手紙を全員の前で読んだ。次のような内容だった。

「毎日寒い日が続いていますが、演劇部のみなさんはお変わりなくお過ごしでしょうか。先日のクリスマス会では大変お世話になり、どうもありがとうございました。

 みなさんの演劇、ダンスは、本当にとても素晴らしかったです。お話の内容もよく、まとまりがあって、きれいで、かわいらしいみなさんの姿を、参加者全員大人も子どもも患者さんも目をきらきら輝かせながら見て、『本当によかったね、あんなに素晴らしいダンスを見せてもらってうれしい』と大変喜んでいました。

 小さい体で一生懸命踊ってきっと練習も大変だったことだと思います。勉強に忙しい時期に、私たちのために練習を積み重ねて学校がお休みなのにわざわざ来てくれて、何度お礼を言ってもいい足りないほど、とても感謝しています。本当にありがとうございました。

 また、何か機会がありましたら、ぜひみなさんの素晴らしいダンスを見せてください。それと当日は最後まで残ってくれた上、後片付けのお手伝いまでしていただいてどうもありがとうございました。私たちの手や足が動かないため行き届かないところを、みなさんに助けてもらってはじめて一つの素晴らしい行事をつくりあげられることができるので、みなさんにはとても感謝しています。

 素晴らしいダンスとお手伝いとでさぞかし疲れたことと思います。本当にありがとうございました。今年も残りわずかとなって、もうじき楽しいクリスマス、そして冬休みですね。寒さもますます厳しくなってまいりますので。お体にはくれぐれも気をつけて勉学に、演劇にと頑張ってください。

 またお会いできる日を楽しみにしています。斉藤先生、当日お手伝いに来てくださった保護者の方々にもよろしくお伝えください」

 先日、うまくいかなかったと泣いていた生徒が泣き出した。そして、その涙は静かに静かに部員全員に伝わっていった。それは人のあたたかさに触れた時に流れる涙だったと思う。

 元気や勇気をいただいたのは私たちの方だった。
 私はこの時の経験を、新作『とも』に組み込んだ。

2011年1月24日 (月)

サンタが町にやってくる 1

 新作『とも』には実話を元にした部分がある。それは私の最初の赴任校での出来事である。

 今から20年前のことである。私が顧問を務めていた演劇部にある依頼が届いた。それは筋ジストロフィーの子どもたちのために、クリスマス会で劇を上演してほしいという内容だった。私はその依頼を引き受けることにした。どんな内容にするか実行委員長と話し合いを重ねた。実行委員長は高校3年生の少女だった。彼女も病と闘っていた。それでいて、自分よりも若い子どもたちのためにクリスマス会を企画していたのだった。

 「子どもたちに、中学生のはつらつとした姿を見せてください」という希望に、ダンスと短い劇を組み合わせた内容にすることにした。ただ、どんな内容にしたらよいのか、なかなかよいアイディアが浮かばなかった。

 私は、実行委員長にお願いして、会に参加する子どもたちに直接会わせてもらった。患者と接する時に気をつけなくてはいけないこと、介護の仕方などを教えてもらった。そして、その後患者の親の会合にも参加させてもらった。その会合では、様々な悩みが生々しく語られていた。最後に代表の方が次のような発言をした。「信じてください。今は、治療薬は見つかっていません。しかし、いつか必ず治療薬はできる。そう信じてください」。

 この言葉が耳に残った。そして、治療薬=サンタクロースという図式ができあがった。
私は「サンタが町にやってくる」という短編を書いた。サンタの存在を信じる妹と、それを否定する兄の物語だった。二人は夢の中でサンタに案内され様々なショーを見る。夢から覚めた兄は部屋に今までなかったはずのサンタの帽子を発見し、もしかしたら本当にサンタは存在するんじゃないかと思う。最後に全員が舞台に登場し、「信じればサンタが町にやってくる」という言葉を連呼するところで劇は終わる。

 部員全員に筋ジストロフィーとはどんな病気なのか、どのように介護してほしいと伝えられたか、そして上演劇『サンタが町にやってくる』の根底を支える「治療薬=サンタクロース」という図式について話した。「もちろん『治療薬=サンタクロース』を知っているのは君たちだけだ、脚本に直接この図式は書かれていない。でも君たちはこのことを心に刻みつけて演じてほしい」そんなことを語ったことを覚えている。

 発表当日がやってきた。実はこの日は私の妹の結婚式だった。私は午前中通し練習を行い、その後、舞台道具をクリスマス会場まで運搬したところで、部員とその保護者に任せ、結婚式場へと向かった。

2011年1月23日 (日)

フクロウと脚本

 1月15日。山梨に出かけた。

 昨年末、休日はいつも缶詰状態で脚本を作成した。最後の最後は追い詰められて、息抜きに出かけることもせず書いては直し、書いては直しという作業を繰り返した。冬の発表を終え、自作をゆっくり見直したい思い、脚本をリュックに詰めて八ヶ岳のふもとに向かった。雪が降っていた。そんな雪の中でフクロウに出会った。

Re_mg_4341

 帰りの列車の中、脚本を直した。フクロウに出会えたおかげなのだろうか、更に満足のいく仕上がりになった。フクロウを見た2日後の1月18日(火)に、生徒たちに最終版となる新作『とも』の脚本を配った。

2011年1月22日 (土)

白いカラス

1997年冬、越谷市増林で埼玉県内初確認となるコクマルガラスが発見され、読売新聞で紹介された。そのコクマルガラスが今年久喜に来ている。コクマルガラスは白いカラス。九州に冬に渡ってくるカラスである。しかし、最近はほんの少数ではあるが関東でも見られるようになった。温暖化の影響なのだろうか。 Re_mg_4074_5

私がこのカラスを発見したのは1月7日(金)。場所は演劇のリハーサル会場前だった。100羽を超えるカラスの群れが会場正面の田んぼでえさをとっていた。その中に白いカラスがいるのを見つけたのだ。はじめて見る鳥だった。翌日、部活の帰りに発見場所を再び訪れた。そして、田んぼの近くにある大きな木にとまっている複数のコクマルガラスを発見し、写真に撮った。インフルエンザが部を襲い、鳥どころではないと言いたいところだが、そんな時だからこそ、白いカラスが見たかった。

 今日その白いカラスの写真を部員に見せた。「かわいいー!ペンギンが木にとまってる」。それが部員の反応だった。ペンギンか、面白い反応だ。その後の通し練習は、満足のいくものとなった。

2011年1月21日 (金)

関東で3作品

  2011関東中学校演劇コンクールに出場する学校12校が決定した。ちょっと、いやかなりうれしいことがあった。私たち久喜中以外に自分の作品を上演する学校が2校あることだ。東京都代表として目黒区立第四中学校が『春一番』を上演する。今年部を立ち上げ、1年生だけでの上演だとうかがった。また神奈川県代表として平塚市立浜岳中学校が『夏休み』を上演する。 『夏休み』は関東大会初上演となる。

 中学校の演劇発表会で、高校演劇の代表作が多く上演されている現状で、中学生が上演する時、最高の輝きを持つことを願って中学生のために書いた私の作品が、私の手を離れたところで代表に選ばれたことを素直にうれしく思う。

 私の過去と出会えることにわくわくする。作品との出会い、人との出会い。この出会いを大切にしたい。

2011年1月19日 (水)

苦しい時こそ我が見せ場5 涙

 発表当日、荷物の運搬のため8時15分に学校に集合した。幸いなことに、インフルエンザの感染者は増えていなかった。

 9時に3年生2人が合流。全員を集めて今日の流れを説明する。インフルエンザにかかった生徒の役は、台詞がある部分は昨日依頼した1年生に演じてもらうことを確認。オープニングの集団演技は3年生2人に入ってもらうことを確認。音響はここ数日、音響を担当してきた2年生が担当することに。そして、それを3年生がフォローすることにした。また、万が一のため、3年生にプロンプターを務めてもらうことを依頼。昨日の今日で台詞を間違えずにいうということはそんなに易しいことではない。演劇人生で初めての決断だった。

 午前中の他校の発表時、いつもなら必ず全員が劇を鑑賞するのだが、今回は代役を立てる場面に関わる生徒は楽屋で劇の練習をさせてもらった。

 そして、本番。彼女たちは演じきった。うれしいことに、プロンプターの出番は1度もなかった。代役の1年生は、台詞を間違うことなく言えたのだ。面白いことに、もともとの自分の役もうまくなっていた。劇の終盤、観客席は静かな感動に包まれていた。自分の舞台を見ている時はいつも冷静でいるつもりの自分も、今回ばかりは最後の最後の台詞の後、熱いものがこみ上げてきた。舞台裏を知らない観客が、舞台裏の苦しさを感じることなく劇を観てくれたことがうれしかった。

 そして、関東代表校の発表。久喜中の名前が呼ばれた時、涙を流したのはここ数日代役を務めてきた1年生の2人だった。2人とも口には出さなかったが、かなりのプレッシャーがかかっていたのだろう。そして、前部長の目に涙が。休むことを余儀なくされた生徒が、関東で仲間と発表できることがうれしかったのだという。そして、その涙を見た現部長の目からも涙がこぼれていた。静かな涙の連鎖だった。

 これを書き終えて、再び思う。「よく乗り越えたなあ」と。

2011年1月18日 (火)

苦しい時こそ我が見せ場4 ウルトラC

 私はこのような苦しい中でもできるだけ現役である1・2年で劇を創ろうと考えた。どうしても自分たちだけでは対応できないところだけ3年生を頼ろうと考えた。まず、1年生の1人に電話して状況を話し、インフルエンザで明日出ることができない2年生の役を今から覚え、明日の本番その役でも出てもらいたいとお願いした。「がんばります」。それが彼女の答えだった。

 続いて前部長に電話した。彼女は家族と外食中だった。彼女に状況を伝えた。そして、明日朝から手伝ってもらいたい旨を伝えた。「やります」。彼女は迷わずそう言った。明日、更に誰かがインフルエンザにかかった場合、その誰かの役を午前中に覚え、その日の午後舞台に立つという超・ウルトラC。そんなとんでもない要求を、彼女は引き受けてくれた。大好きな後輩のため、そんな気持ちが強かったろう。(ちなみに現役の中学生である3年生が舞台に立つことは規定上問題はない。関東大会では3年生が出演しているところが多数ある。)

 今までも久喜中は台本を配ったその日に通しを行うことをやったことがある。『青空』という作品に取り組んだ時がそうだった。私たちはそんな厳しい状況にも耐えられる練習をしている。ただ、明日は通し練習ではなく、本番だ。

 前部長は何度か主役を務めてきた。関東大会、全国大会という大きな舞台経験もしている。彼女は、長い台詞をあっという間に覚えてしまうことで、仲間や後輩を驚かせてきた生徒でもある。彼女は『とも』の通し練習を観に来たので、劇の内容も知っている。「彼女ならきっとできる」私はそう信じていた。

 更に前副部長にも同様の依頼をした。彼女の答えも「やります」だった。2人の「やります」はきっぱりと覚悟を決めた響を持っていた。そんな響を持った「やります」は私の胸を熱くした。受験勉強もあるだろうに…熱いものがこみ上げて胸が苦しくなった。恥ずかしい話だが、電話をしながら涙がこぼれていた。

 先ほど泣きながら電話してきた部長に電話した。そして状況を伝えた。彼女の母親が車を運転し、外食している前部長のところにすぐに台本を届けてくれることになった。後で聞いた話だが、食事場所で台本を渡す時、現部長は涙、涙だったという。それは先ほど私に電話してきた時流した不安から来る涙ではなく、人の優しさに触れた時に流れる涙だったろう。

 帰宅した現部長の親から連絡が入った。先輩と会って安心して、家に帰った彼女の表情に笑顔が戻ったという知らせだった。こんな危機的な状況であるのに、先輩が力を貸してくれるということで笑顔が生まれる。先輩の力、恐るべし。

  そんな中、よい知らせも届いた。インフルエンザで3日間リハーサルに出られなかった生徒の親から、今日で熱が下がって2日になり、明日参加させられるという連絡が入った。念のため午前中は家でゆっくり休み、上演30分前に来るように伝えた。また発熱で休んだもう1人はインフルエンザではなく、明日は出られるだろうという連絡も入った。
そして、発表当日、1月10日の朝を迎えた。

2011年1月16日 (日)

苦しい時こそ我が見せ場3 インフルエンザ

 1月5日が最初の通し練習。ただこの日は発熱で一人欠席した。1月6日ははじめて全員揃っての通しとなった。そして、1月7日、新たに2年生1人が練習中熱っぽいと訴えてきた。すぐに帰宅させたその生徒はインフルエンザと診断された。1月7日は1年生に自分の役プラス欠席者の役を演じてもらい、通し練習を行った。欠席者の代わりに役を演じる一年生も、必死で台詞を暗記し対応してくれたが、それでも急に覚えたセリフでリハを演じるのはかなりのプレッシャーを受け、通し練習終了後思わず泣き出してしまった。もちろんみんなで励ました。
 1月8日も同様の練習となった。1月9日、本番前日、更に一人発熱するものが出て通し練習は2人を欠いた状況で行わざるを得なくなった。毎回全員キャスト全員スタッフで望んでいる私たちにとって、次から次へと大きな壁が立ちはだかる。二役を演じることになった一年生が途中着替えが間に合わず、本来の役での登場場面に出ることができなかった。欠席者の一人が音響を担当していたため、新たな音響担当者をキャストの中から選んだ。自分の出番が終わると音響卓に駆けつけ、再び自分の役を演じるという、慌ただしさが生じることになった。
 そして、9日の午後、更なる一人がインフルエンザにかかったという報告が届く。次々と発熱していく生徒が劇の中心を担う2年生であることがボディーブローを越え、アッパーカットとなって襲いかかってきた。17時過ぎのことだった。そのことを知った現部長から「上演辞退ですか」と涙ながらの電話がかかってきた。もし上演辞退をしたならば、上演できなかったものの心にずっしり重いものが残る。インフルエンザにかかった生徒の心にも。
  私はきっぱりと言った。「心配するな。まだウルトラCが残っている」。この「ウルトラC」はこの時突然思いついたわけではなく、数日前から最悪の事態を想定し、その対処として考え抜いたことだった。部長に言った「3年生に舞台に立ってもらう。これから俺がお願いする」。
 この時の自分は、ウィルスの潜伏期間を考慮し、明日までに更に何人かがインフルエンザで休むことになるという事態を想定していた。

2011年1月13日 (木)

苦しい時こそ我が見せ場2  長い前置き

  久喜中演劇部は今まで関東大会で何度か最優秀賞をいただいた。昨年は金賞を受賞した。第1回の受賞をのぞいて彼女たちは感情を表に出すことなく受賞発表を聞いていた。その予選となる東部地区大会でもそれは同じである。私たち久喜中のことをよく知らない人は誤解するかもしれない。彼女たちは最優秀脚本賞受賞を当然と思っているのだと。でも、それはあり得ない。100%ない。私は彼女たちに「受賞の時、喜んではいけない」などと言ったことはない。最優秀賞を受賞した後も全然喜びの叫び声や涙を見せない彼女たちを遠くから眺めて、これは誤解されるなと心配してるというのが本音である。運営側でもある自分はもっと喜んでもらいたいと思う。その方が大会の最後を飾る場として絵になるからだ。しかし、彼女たちはそうしなかった。訳もわからず出場した第1回の大会をのぞいて。
彼女らは喜んでいるのだ。とても喜んでいるのだ。しかし、彼女らがその喜びを表現するのはホールを離れ自分たちだけになった時なのだ。
どうしてそうなのか、そのことについて彼女らと話したことがないので想像なのだが、受賞時の彼女らの行動は久喜中のオーディションの在り方とリンクしているのだと思う。久喜中のオーディションにむけての練習はすべてオープン、秘密練習などというものをよしとしない。私の前で演技を見せるものにはアドバイスをするのだが、そのアドバイスは全員が聞くことができ、全員が共有できる。見せない自由もあり、見せないからオーディションで不利になることはないのだが、見せない生徒はいない。このような状況の中、だれもが、部員全員が全力で自分のやりたいと思う役の練習をしていることを理解することになる。
役の決定の場はストイックである。オーディションの後、役は顧問の合議で決定する。選ばれた生徒は立ち上がり礼をする。拍手もない、喜びの声も涙もない。選ばれたことへの喜びの声や涙は、自分同様がんばってきた仲間に対し失礼だと感じるのだと思う。もちろん、やりたい役に選ばれなかった生徒の目にも涙はない。当然悔しい思いはあるであろう。しかし、それは心の奥にそっとしまい込まれる。更に彼女たちは、全員ががんばっているのに一人を選ばなくてはいけない厳しさ、つらさを私が背負っているということも理解してくれる。彼女たちは優しい大人の心を持っている。
そんな彼女たちは、他の学校の生徒たちも自分たちと同じように全力で劇づくりをしていることを理解しているのだと思う。だから、賞に大喜びすることは失礼なのではないかと受賞の瞬間感じるのではないだろうか。だから彼女たちはその喜びを心の奥にとどめてしまうのだと私は思っている。
さて、これは前置きである。自分の悪いくせで前置きが長くなった。これから書くことが今回言葉にして残しておきたいと思っていることである。それは、彼女たちが先日上演した『とも』で関東大会出場を決めた時、思わず涙を流したということである。静かな静かな涙であった。彼女たちは涙を抑えることができなかった。昨年の関東大会で金賞を受賞した時にも泣かなかった3年の元部長も、後輩が関東大会出場を決めたその時、涙を流した。そして、その涙を見た現部長の目からも涙がこぼれた。審査員の先生がその裏にあるドラマを知った時、「それで脚本1本かけますね」と言ってくれた。そのドラマとは…

2011年1月12日 (水)

苦しい時こそ我が見せ場1  短い前置き

 1月12日の「歴史秘話ヒストリア」は織田信長を扱っていた。そのサブタイトルは「苦しい時こそ我が見せ場」であった。私は織田信長のファンではないが、このサブタイトルに惹かれこの番組を見た。そして、今回の東部地区大会本番での久喜中演劇部は、まさにこのサブタイトルそのものだったと思った。

 これからここに書こうとしている試練は、当然のことながら我々が求めたものであるはずがない。そんな試練はない方がよかったにきまっている。しかし、試練の時はやってきた。そして、私たちはそれに全力で向かい合わなければならなかった。本番2日後の今日しみじみ思う。「それにしても、よく乗り越えたなあ」と。

2011年1月 6日 (木)

今日も涙だった

第2回の通し。初めて全員揃っての通しができた。今日は保護者2人が観に来てくれた。そして、今日もたくさんの涙を見ることができた。言葉が涙で詰まってしまうという、言葉をこえたすてきな感想もいただいた。

1月2日のブログに書いたように、今回の劇は難病ものである。難病もので涙といえば、「主人公の死→涙」「主人公の生還→涙」という公式が思い起こされるであろう。自分はその公式に当てはまらない涙の物語を創ったと思っている。

私が作った物語は、難病を抱えた人の物語であると同時に難病の物語を作る人の物語でもある。

2011年1月 5日 (水)

涙、涙

  第1回の通し。4人のOGと受験を控えた2人の3年生、計6人が観に来てくれた。いつものことながら、第1回目の通しは台詞を間違える、台詞が抜ける等のミスが飛び交ったが、それでもほとんど止まることなく最後までたどり着くことができた。それにしても6人はよく泣いてくれた。私は鼻をすする音がとても心地よかった。

  引退・卒業してまでもずっと「よしだし」をし続けてくれる先輩。涙、涙の「よしだし」は説得力があった。あこがれの先輩達にほめられる喜び、それが成長の原動力になる。明日はまた一回り大きくなってくれることだろう。

  実は、今日の舞台は、重要な役を担う2年生1人が38度の熱で突然休んでしまうという状況の中、1年が必死でセリフを覚え台本なしで代役を務めたのだった。先輩がそのような状況を知らずに感動してくれたことを考えると、よくやったとほめてあげていいだろう。

2011年1月 4日 (火)

困ったうれしいこと

新年最初の部活、6日後が本番なのに今日も通すまでには至らなかった。おそらく明日は通せるだろう。
今日、本番用の台本を配った。そして、ラストシーンの練習をする。この練習中にちょっと困ったことが起こった。自分が登場する前のシーンを見て泣いてしまうのだ。泣いて出てくるシーンではないのに、登場する時に涙がこぼれている。せりふに気持ちがあふれ出てしまう。まっ、次に登場する人たちの心を打つ演技ができているわけで、それはうれしいことでもあるのだが。
役者が感情過多になると観客の気持ちは引いてしまうということは伝えた。しかし、彼女たちはプロの役者ではない。まだ人生経験も10年とちょっとの中学1年生と2年生。これでいいのかなとも思う。

2011年1月 2日 (日)

『とも』とは?

 『とも』は知輝と智花、そして友川大空(そら)の3人の「とも」の物語だ。そして、それは友の物語であり、共に生きる物語である。そして『とも』は、私の30年近い演劇人生の中で一度も扱ったことのない、恋をモチーフにした作品である。舞台は病院。数多くの映画やドラマで見ることのできるおなじみの設定である。難病ものというカテゴリーに入るといってもよいのかもしれない。
 まあ、私たちの世界を知らない多くの人にとっては、たかが中学演劇なのかもしれないが、「たかが」などとはこれっぽっちも思っていない自分は、今まで存在した難病ものとはちょっと違った切り込み方をしたいと思い、『とも』を創った。
 読売新聞で「今までの難病ものとは違う」と評された映画版『半分の月がのぼる空』は、DVDを購入して何回か観た(原作は未読、漫画は2巻まで読んだ)。確かに、この映画は「今までの難病もの」とは少し違っていた(映画は原作とはエンディングが違うようである)。違ってはいたが、自分が求めている方向性とも違うことを確認し安心した。
 昨年のこの時期に創った『七つ森』はラストの直前まで笑いが起こる、笑いに満ちた作品であったが、今回の作品は笑いは一度も起こらないかもしれない。笑いが起こる可能性がないわけではないが、笑いはあってもばか笑いではないだろう。それでも面白くなるということを証明したいと思うのだが、さてどうなることか。

2011年1月 1日 (土)

新作 『とも』

 12月26日、新作がようやく形となった。冬季の創作では今まで一番遅かったのが数年前の『青空』だったので、その記録を1日更新した。この場合は更新はよい意味ではないので更遅といった方がよいかもしれない。題名が決定したのは12月31日の大晦日。題名は『とも』。実はこの題名は2010年6月の段階で新作の題名として考えていたもの。それが『Tomo』となり、『虹の彼方に』になり、『空の魔法』になり、『虹の彼方に』に戻り、最終的に一番始めの題名『とも』に戻った。実はこの題名は私が考えたものではない。考えたのは私の妻だ。そんなわけで妻はこの題名に落ち着いたことを喜んでいる。
 12月19日(日)は台本を使っての練習を始める予定であったが、脚本が進まず練習を中止に。23日(木)の練習も中止、冬休みに入った25日も休みにして、一日中、書いていた。ただ、事務仕事と違い、時間があれば進むというわけではなく、書いては直し、書いては直しの連続で全然進まない。とにかく書かなければ始まらないということで、がむしゃらにラストに向かって書いていき、何とかラストにたどり着いたのが翌日26日の午前10時。連絡網で集合を11時に遅らせ、11時半に、できたてほやほやの脚本を14人の部員全員に配る。
 自分も一緒に読みながら、誤字、脱字、変換ミスを多数発見。これでは感情移入しにくいと反省しきり。読み始めて15分近くたった頃だろうか、部員たちの何人かが読みながら目をこすり始めた。そして、最後のページにたどり着く頃には、何人もの部員の目から大粒の涙がこぼれていた。少しほっとした。今回も部員達は感動してくれた。
 27日は1日練習し、28日は午前中練習した。29日からは冬休み。次の練習は1月4日。1月5日には第1回の通し練習を行う予定。本番は1月10日。部員達は猛烈と形容できるほどのやる気を出し、自分たちで次から次へとシーンを創り上げていく。まだ入部して1年もたっていない1年生も、自分たちで登場シーンを創り上げ見せに来る。びっくりするほどうまくなっていた。苦しいけど楽しい。すてきな作品が生まれるんではないか。そんな予感がする。

« 2010年3月 | トップページ | 2011年2月 »

最近の写真