« 春一番に向かって歩く | トップページ | 新作 『とも』 »

2010年12月12日 (日)

Yes」から見つめる子どもの劇上演(2004/1 『演劇と教育』)

「Yes」から見つめる子どもの劇上演(2004/1 『演劇と教育』)

はじめに

「よい劇を上演しようとすることは、子どもにとって有意義か?」

 演劇教育にかかわったばかりの自分は、子どもたちとよい劇の上演を目指すことは、疑いなくよい取り組みと思っていた。しかし、現実はそう簡単ではないらしい。

 即興的な劇遊びのように、「演じるもの」と「観るもの」という関係がない場で、人間関係・コミュニケーションを育むドラマ教育が、本誌でもよく取り上げられる。そうした活動の意義は充分理解でき共感もできる。しかし、そのような実践例や論考の中には、観客を想定しない活動こそが子どもたちの成長をうながすのであって、観客にみせるための「よい劇」を上演しようとする活動は、一人ひとりの子どもの表現を大切にすることより、舞台の「できばえ」の方が優先され、結果として子どもを型にはめてしまうというマイナス要因となることから「No」なのだ、と言わんばかりのものも少なくない。

  更には、観客を想定する教育は人間を育てる教育ではなく、俳優を育てる教育であるというような主張もある。確かにそのような面を完全に否定することはできない。

 しかし、私はそうしたマイナス要因を視野に入れた上で、よい劇の上演をめざすことは「Yes」なのだと主張したい。

 少し遠回りになるが、私の演劇教育のスタートを見つめることから、この試みを始めたいと思う。

屈辱からのスタート

 私の教師のスタートは蓮田市立黒浜中学校。私は演劇部の顧問となった。その時の私に対する周囲の反応は「文化部をもつなど男の恥」という、演劇というものが軽くみられている日本において、ごくありふれたものであった。もちろん私にとってそれが屈辱であったことは言うまでもない。

スタート当時の練習

 当時の私は自分を馬鹿にしている人たちを見返してやりたいという気持ちで一杯だった。運動部に負けない部にしようという気持ちから、朝練と休日練習を始め、ダンスやランニングを練習に取り入れた新しい取り組みを次々と行っていった。

 表現を伸ばす目的では、笑いや泣きの段階的練習(大笑い、大泣き、啜り泣き、微笑み)といった表面的な表現練習を行っていた。

  「体育館という大きな箱で、観客を魅了する演劇がやりたい」。それが、当時の私の目標だった。そのため、体育館の一番後ろの生徒でもよく聞こえよく見える、そんな演技を追求した。

 それは、大きな発声や大きな身振りで演じる、スタニスラフスキーがその著『芸術におけるわが生涯』で若いときに自ら犯した誤謬として紹介している「退屈させぬように、全力を尽くして演れ!」という言葉に要約される類のものだった。

 しかし、そんな黒浜中学校演劇部の劇は思いの外好評で、新聞などでも紹介されるようになった。そして、演劇部顧問となって八年目の春、第一回自主公演を久喜総合文化会館の小ホールで行った。

 観客が来てくれるか不安だったが、三百の観客席は満員となった。そして、年二回のホールでの上演が軌道に乗ったところで久喜私立太東中学校への異動となり、そこでも演劇部の顧問となった。

外見的順風満帆

 太東中での演劇活動のスタートは外見上、順風満帆といってよいものだった。異動した年度の三月には体育館での第一回一般公演を行い、二年目の夏には久喜総合文化会館の小ホールで上演した。

 三年目の夏に全劇研で上演した。四年目の夏は三百人の小ホールが満員立ち見となった。その年、久喜市に市民芸術祭が生まれ、太東中演劇部は中学生演劇としては異例の二時間の枠をもらうことができた。

 翌年、子ども芸術祭が生まれ、その最後を飾る太東中演劇部の劇を観に訪れた観客は、千二百人の大ホールが満員立ち見になるまでふくれ上がっていた。

批判

 太東中演劇部の華々しいという形容詞を使いたくなる活動の中で、称賛とともに様々な批判の声が届き出したのもこの頃であった。

 「休みない練習によって生まれた劇」「専制君主によって創られた演劇」「操り人形の生徒」「エリートという選ばれた子どもたちによって創られた劇」「プロを模倣した子どもらしさのない劇」。私はそのような言葉に、批判者の背景に共通して存在する「よい劇=人間を育てない劇」という思いを感じた。それらの批判的言説は私たちの心を傷つけると同時に私たちを成長させる原動力ともなった。

 太東中演劇部の劇活動の方向性は、その一見華やかに見える経歴から想像されるベクトルとは反対のベクトルを指し示していたと思っている。この頃の私は、前述した黒浜中時代の私とは考え方がずいぶん変わってきていた。私は演出家ピーター・ブルックの「死守せよ、だが軽やかに手放せ」という言葉を座右の銘にしている。

 この頃の私が大切にし始めていたのは「積み木」という考え方だった。

積み木

 文学であり、哲学の入門書である『ソフィーの世界』のデモクリトスについて書かれた章に、「なぜレゴは世界一、超天才的なおもちゃなのか?」という問いかけがある。ソフィーはいろいろな大きさや形のレゴを使ってものを作ってみる。そしてソフィーはレゴがどんな形でも作れる上になかなか壊れないことに世界一且つ超天才的価値を見出す。

 さて、私にとって世界一、超天才的なおもちゃは積み木だ。そして、私が積み木を世界一、超天才的なおもちゃだと思うのはレゴとは違って、それを使って作られたものが簡単に崩れてしまうことによる。太東中時代、私は好んで生徒に次のような話をした。

Img_9333_2

 「劇をみんなが持っている積み木を持ち寄って創る建築物と考えてみよう。
ここに三人の生徒がいる。三人が一個ずつ同じ形の積み木を持ってきて何かを創るとしたらどうだろう。その組み合わせから作られる形は変化に乏しく、出来上がった形はあまり面白いものにはならないはずだ。

では、三人がそれぞれ違った形の十Img_9342_2個の積み木を持ち寄ったらどうだろう。そこから作られるものは、ずっと面白くなるだろう。

 三人は、時に積み上げた積み木を間違って崩してしまうこともあるだろう。そんなときも三個の積み木では崩れた形も面白くなることはない。しかし、三十個の積み木ならどうだろう。時に崩れた状態が思いもよらない面白い形を作るということがないだろうか。

 さて、僕一人の積み木によって劇が創られるとしたら、それは果たして面白くなるだろうか。そんなものたかが知れている。君たちと僕がたくさんの積み木を持ち寄って作ってこそ劇は面白くなる。だからこそ君たちにはこの三年間でできるだけたくさんの積み木を手に入れ、それを積んでほしい。 

 積み木を増やすのは部活の中に限ったことではない。部活以外の学校生活でも、家庭でもどこでもいい。積み木はダンスであり、歌を歌うことであり、本を読むことであり、劇を観ることでもある。花や鳥といった自然に親しむことでもあるし、絵を描くことでもある。何でもいいんだ。どんなことが演劇の役に立つかなんてわからないんだから。」

変化

 この考えは自分の練習への姿勢を変えていった。以前の運動中心だった練習内容は、多種多様な練習内容に変わっていった。そして練習内容が多様になることと反比例して練習時間は短くなっていった。以前行っていた朝練、休日練習をなくし(ただし本番前は除いて)、夏休みは七月の芸術祭が終わってからは全て休みとした。それは部活動以外での様々な体験もとても大切だと考えるようになったからだ。

 練習時間が短くなったことで、逆に集中力が高まり、密度の濃い練習が展開されるようになったといえると思う。

 そのような多様な活動の中の一つに「自然劇場」と名付けた自然観察会がある。自分の大好きな自然を共有してもらうつもりで始めたこの活動が、その後、子どもの表現を伸ばす上で大きな意味を持つようになった。

自然劇場

 私の劇はそのほとんどが自然を舞台に命を描いたものである。そのため劇世界で描かれている自然に触れることを大切にしていた。『降るような星空』のラストシーンは、主人公の少女が涙ながらに星空に向かって語りかける。そして、その少女のもとに仲間が集まってくるという場面だ。

 上演前、夜集まってその劇に登場する冬の星座をみんなで観察した。その後のリハーサルでは、ラストシーンでみんなが本物の涙をこぼした。涙声で語られる台詞は明瞭ではなかったが、震えが来るほど素敵だった。一人一人が見つめる先には、みんなで眺めた星空が映っていたのだろう。

 劇に関係する自然を体験するための観察会であったが、それは上演とは関係なくしばしば行われるようになった。私は、その自然観察会を自然の劇場に出かけるという意味を込めて「自然劇場」と名付けた。

 夏休みの夜行った「自然劇場」では、セミの羽化をみんなで見守った。羽化の途中で死んでしまうこともあることを知っている生徒たちは「がんばれ」と声を出して応援し続けた。そして羽化が無事終了したとき、自然と拍手が沸き起こった。

 劇の練習場所があっという間に「自然劇場」となることは日常茶飯事だった。トンボが入ってくればそれを眺め、窓の向こうの木に鳩が巣をかけると、休憩時間は鳩の子育ての観察になった。そして巣立ちまで毎日毎日観察が続いた。夏の日の突然の夕立では雷におびえ、その後全員で虹を楽しんだこともあった。

 生徒の表現は「自然劇場」を体験する中で確実に深まっていった。はじめ私はその理由をしっかり言語化できなかったが、今はその理由を理論的に説明できる気がする。

 生徒たちは自然の中で今まで経験したことのない感動を体験したのだ。そのような体験の後、泣いたり笑ったりする表現が本物になっていったのは、その感動体験と演技をリンクできるようになったからにほかならない。それはアクターズ・スタジオ創設者のリー・ストラスバーグが重視した「感動記憶」という取り組みと重なるものであった。

 感動体験と演技をリンクさせる取り組みを進める中で、以前取り組んでいた笑いと泣きの段階的練習のような内面を伴わない表現練習は姿を消していった。

通過点としての上演

 私にとっての劇の成功とは、舞台に立った生徒の成就感からの笑顔と涙に出会うことである。それははじめて演劇部の顧問になったときから変わっていない。その笑顔と涙に出会うためには、劇終了後、観客の感動が舞台に伝わってこなければならない。

 幸い、自分たちの劇は多くの観客に好感を持って迎えられ、劇終了後の客席は拍手に包まれた。そして、私は生徒たちのたくさんの笑顔と感動の涙に出会うことができた。

 当時の劇を「完成を目指した劇」というレッテルを貼る人もいたが、私にとって劇の上演はゴールではなかった。それはあくまでも日々の練習の延長線上にあるものであり、そこから先へとつながる通過点であった。

  「自然劇場」同様、劇上演は生徒にとって貴重な感動体験となったはずだ。私はそれも素敵な積み木の一つと思っている。

ジレンマ

 さて、積み木という考え方から生まれた取り組みを次々と行っていった時期は、前述した観客が一気に増えていった時期と重なる。当時の私は大きなジレンマを抱えていた。

 この頃の自分が一番素敵だと感じていたのは本番の発表ではなく、本番前日に練習場所で行われるリハーサルだった。そこでは生徒の笑顔や頬を伝わる涙まではっきり見ることができた。そして、その涙は観客(保護者、OB、教師)の涙を誘い、その啜り泣きの声がなんとも形容できない素敵な劇空間を生み出していた。そこには役者としての生徒と観客の間に交感があった。

 体育館や大ホールでは、半分より後ろの席からは自分たちが一番大切にしている表情で語る演技を見ることは難しい。それは淋しいことであった。また体育館では、自然な発声を心掛けたのでは声が届かず劇が成立しなかった。

 体育館での発表前は、みんなが大きめに台詞をしゃべった。そして、それによって表現は確実に深みを失っていた。体育館での劇上演は表現を貧しくする面があると感じた自分は、生徒・保護者と相談し、三年生を送る会などの体育館での発表は広い空間でも表現が生きる歌とダンスに限定することにした。

 太東中演劇部の九年間の最後の二年間は、内面的表現を重視した劇に取り組んでいたこともあり、前向きな気持ちから体育館での劇上演を行わなかった。

新たな旅立ち

 昨年、私は演劇部のない久喜市立久喜中学校に異動となった。そこで、三年生を送る会の有志企画としての劇上演を依頼された。体育館を使っての上演は行わないという決意は、生徒の熱意に負け、簡単に崩れ落ちた。脚本は、生々しいいじめの描写から逆説的にそれを批判していく『チェンジ・ザ・ワールド』(石原哲也・作)を選んだ。

 本番の舞台は騒がしい中で幕が上がった。放送担当の教師がマイクを四本用意して声を拾ってくれたが、そんなことではとても聞こえない。マイクのレベルはどんどん上げられたが、そのレベルに比例するように会場の騒ぎもエスカレートしていった。

 いじめのシーンでは三年生が拍手をして喜んだ。それは素敵な生徒たちの(皮肉でなく)、悪意のない、そしてそうだからこそ悲しい反応だった。

 劇が終わった。舞台裏には泣き崩れる生徒たちの姿があった。一人の生徒から「悔しい」という言葉が呻きとなって発せられたとき、私の目からも涙がこぼれ落ちた。

「もう一度やろう」

私のその言葉にみんなが頷いた。

 数日後、私たちは同じ劇を多目的室という広くはない場所で上演した。放課後、観たい人だけが観に来るという形の上演に、生徒と教師合わせて五十人が集まってくれた。前回、フィナーレで悔し涙を流した主役の生徒は、今回も涙を流した。前回とは違う意味を持った涙を。役者と観客の心のつながりを感じた。

 演劇部ではない生徒たちとの劇作りは、私の積み木をまた一つ増やす経験となった。

おわりに

 「よい劇を上演しようとすることは、子どもにとって有意義か?」

 二十年間の演劇教育を振り返り終えた今、再びこの問について考えてみたい。今と比較すると黒浜中演劇部での活動は相対的に「No」であるようにも思える。体育館の上演が表現を伸ばすためのマイナス要因となる部分がよく見える。今の私が一番興味を持っているのは、役者の息づかいまで聞こえる空間での上演だ。そして、そのような狭い空間での上演こそが表現を伸ばすのだ、と主張したい気持ちにもなる。しかし…

 上演を含めたあの当時の活動は、少なくとも「No」ではない。胸をはって「Yes」とは言えないが、はにかみながら小声で囁くようになら「Yes」と言える。

  黒浜中時代の演劇部員は今でも私たちの劇を観に来る。昨年、その中の一人が笑顔でこう言った。

 「私にとって、みんなと劇を創ったことは今でも宝物です」

 そう、あの頃があるから今がある。今年、私は希望を胸に久喜中に演劇部を立ち上げた。

|

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/143900/50838570

この記事へのトラックバック一覧です: Yes」から見つめる子どもの劇上演(2004/1 『演劇と教育』) :