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2009年9月に作成された記事

2009年9月 5日 (土)

17年前の思い出との出会い

 このところ演劇部のことをずっと書いている。まだまだ書きたいことがたくさんあるので、この後時間を見つけては書き続けたいと思っているのだが、今日は、演劇部を離れたところでの話題を紹介したい。先日、ニュージーランドからメールが届いた。17年前に担任した生徒からだ。懐かしさで一杯になった。

◆◆◆…【 】は斉藤俊雄の注。
 ずいぶんとご無沙汰していましたので覚えてらっしゃらないと思いますが【覚えています、はっきりと】、私は以前、斉藤先生が黒浜中学校で最後の年に受け持ったクラスの2年4組でお世話になりました。
 ふと、したきっかけから斉藤先生の現在の活躍を知り、とても懐かしく思い、突然失礼とは思いましたがメールを送らせていただきました。現在はオークランド市内の現地人を相手にしているお店で働いています。

 こちらでの仕事は毎日が刺激的で、かつ、未知なこともたくさん有り苦労も絶えませんがとても充実しています。自然にも大変恵まれ、食材も比較的日本に近いのでとても過ごし易いです。
 
 斉藤先生と過ごした一年間はとても刺激的で私の学生生活の中で間違いなく一番濃い(熱い!!)濃すぎて、今思い出しても鼻血が出てしまいそうな一年間で、今でもたくさんの出来事を覚えています。

 生徒の名前を始業式の次の日に全員分覚えてきたことや、コロンブスの卵の話をして、実際に【コロンブスとは違って】卵【生卵】を割らずに机の上に立てて見せたり、授業中に理科室で間寛平さんのマラソンのビデオを見せてくれたり【この年は本業の英語だけでなく、理科を教えていたため理科室が自由に使えた。見せたのはおそらく学活の時間】、マジックや縄跳び、合唱コンクールなどなど・・・

 今だから言えますが、当時、私は英語の授業が大の苦手(今でも)で斉藤先生の授業も同様に苦手だったのですが、時々授業中に話してくれた先生の経験談など、とにかく私は斉藤俊雄ワールドが大好きでした。
 先生も乗ってくると時間を忘れて話し続け、そろそろ授業を進めなければまずい、と言いつつ気づいたら休み時間になってしまったりして、いかに先生に授業をさせずに面白い話をしてもらうかばかりを、英語の授業の度に考えていたことを懐かしく思います。ごめんなさい。

 当時は、まさか将来海外で生活することになるとは思ってなかったので、もっと真剣に英語の授業を受けておけば良かったな~と日々後悔してます。
 
 当時14歳だった私も早いもので今年31歳になりました。周りの方々の理解と協力があり、未だに夢を求め新天地で走り続けてますが、50歳間近の斉藤先生の活躍、現在進行中の間寛平さんのアースマラソン・・・私の人生もまだまだ道のりは長いようです。
 あの一年間は少なからず現在の自分に影響を与えていると思います。なにせ先生の個性は強烈でしたから。常に可能性を否定せず、常に情熱的に話してくれたたくさんのお話が今でも私の中で生きています。(ただ一つ、UFOを見たって話は完全に否定されましたが・・・)
 
 あれもこれもと、たくさんの思い出が蘇りついつい長くなってしまいました。もし、ここまで読んでいただけていたらありがとうございます。
 こちらは、これから春を迎えますが日本はまだまだ暑い日が続いていると思います。暑い体育館の中で演劇の熱い指導をしている先生の姿が思い浮かびます。体調には充分お気をつけ下さい。まだオレンジ色のメガホンはお使いですか?
 斉藤先生の更なる活躍を南半球より楽しみにしております。また、先生のような方が今でも教壇に立ち続けて学生を指導していることをとてもうれしく思います。 では、失礼致します。
◆◆◆

 ネットという性格上、クラスや授業のことは極力書かないことにしている。部活のことばかり話題にしているので、私を部活重視の人と思う人もいるが、それは違う。私は部活と同様クラスでの活動も授業も大切にしている。クラスの生徒とのドラマにも授業で生まれたドラマにも話したい話がたくさん存在する。

※17年前の話なら紹介してもいいだろうということで、承諾を得て紹介させていただきました。 私は「変わる」ことを大切にしているので、取り組みはこの当時と変わっていますが、生徒と向かい合う時の熱い思いは、今も変わっていないと思っています。

2009年9月 3日 (木)

『春一番』 二つで一つ

 第58回全国演劇教育集会(全劇研)の発表の2日前。私は全員に「明日への一歩」と題したプリントを配った。理由は部活の空気に目標に向かっていく強い力を感じなくなったからだ。数日前グループ・オオルリは『春一番』の本番を終えた。そのオオルリのメンバー全員が、一週間後の全劇研の発表に出る。ただしキャストを入れ替えての上演のため、出番はオープニングの5分間である。自分たちが中心の発表を終えた気のゆるみからか、このメンバーの中に衣装を忘れてくるものが複数出た。それも2日連続で。あと数日で本番だというのに2日連続で衣装を忘れる生徒がいるということは、そのまま何も言わないでよいことではなかった。
 プリントのはじめは次のような言葉で始まる。「一人でも多くの人に感動を与えるために 今日はあえて厳しいことを言います!」そして、プリントの最後は次のような言葉で締めくくった。「よい劇はみんなで創る。今日からはオオルリもカワセミもない。日曜日は全員がオオルリだった。そして、今日からは全員がカワセミである。2つのグループがあるのではない」(グループ・オオルリとカワセミについては8月31日のブログを参照してください)
 そして、グループ・オオルリのメンバーに話をした。「君たちの発表の前、君たちが少しでも多く練習できるように、舞台のセットを全部してくれたのは誰だったろう。君たちの最後のリハーサルの時、君たちより早く昼食を終えて、準備をしてくれたのは誰だったろう」
「カワセミのメンバーです」そうオオルリのメンバーが答えた。
 そう、3年生中心で構成されたグループ・カワセミは2年・1年生が多く出演するグループ・オオルリを少しでも助けようと、彼女らには練習をさせてあげて、舞台準備を自主的に行ってあげていたのだ。
 「そうだよね。君たちは全員カワセミの発表にも出るよね。それは最初の数分だけど、出るよね。数分だからどうでもいいのかな。衣装なんか忘れても関係ないのかな。君たちは、ライバルだったのかな。競い合ってここまできたのかな。この前に日曜日の発表はオオルリとカワセミの2つのグループがあったのかな。違うよね。あの日はみんながオオルリだった、そうだよね。今日からは、みんながカワセミにならなくちゃいけないんじゃないか」
 私の話を聞いている部員の目から、私からのメッセージは伝わったと感じた。部活の空気が引きしまった。そして、2日前のブログで書いた取り組みがとても意味あるものになった。教室での最後の通し練習は、一人一人が舞台で生きている本当に素てきなものとなった。劇が終わった後、全員の顔が晴れやかだった。晴れやかな中に涙があった。

 8月1日の発表直前、みんなに話をした「さっ、今日はみんながカワセミだ。それじゃ、応援の意味で同じ役同士で握手をしようか」。その言葉とともに、同じ役同士が握手しあった。空気が応援の言葉で満たされた。もう、この段階で胸が一杯になって、劇の始まる前だというのにみんな泣いていた。そして、本番の幕が上がった。

2009年9月 2日 (水)

『春一番』 2人の裕美

 8月1日(日)『春一番』の劇が終わった。調光室からロビーに降りてくると、会場から劇を観ていた部員たちが出てきた。私のところに真っ先に来たのは一週間前チーム・オオルリ(このチームについては2日前のブログで紹介しています)の発表で裕美を演じた2年生だった。彼女の目からは涙があふれていた。
「先生、裕美ちゃんが、裕美ちゃんが言えたんです」。
 自分と同じ役を演じている友だちの成功をこんなにも喜んでいる。その姿に感動した。その言葉に、私の心も震えた。飾りのない言葉である。でもその飾りのない言葉に、「なんて素てきな響きを持った言葉なんだ」と思った。
実はこの日、裕美を演じたチーム・カワセミの部員は、ここ3回の通しリハーサルで長ゼリのかなり重要な台詞を言い間違えるか、台詞を数行分全部飛ばすということをしていたのだ。「大丈夫、できるよ」と励ましたが、彼女の顔は不安で一杯だった。そんな彼女を励まし続けたのがもう1人の裕美だった。この日、もう1人の裕美は彼女のために何度も何度も台詞の確認をしてあげていた。本番と同じスピード、同じ気持ちで、何度も何度も、この日の裕美は台詞の練習をした。そして、本番の舞台で、この日の裕美は長ゼリを見事に言い切った。
 舞台裏で2人は抱き合って喜んでいた。2人とも泣きながら喜んでいた。この日の裕美は「ありがとう」という言葉を何度も何度も繰り返していた。こんな涙っていいもんだ。
 現代の中学生は昔に比べて駄目になったなんて言わせない!言わせてたまるか!
 この年になっても、こんな青春のまっただ中に一緒にいられることは本当にうれしい。

2009年9月 1日 (火)

『春一番』 本当の涙がこぼれる理由のひとつ

 私が関わってきた生徒たちは劇の本番で本当の涙を流す。初めて演劇部の顧問になった黒浜中学校でも部員たちはほんものの涙を流した。次の学校でも、今顧問を務めている久喜中学校でもそうである。本当の涙のしずくが舞台上にこぼれ落ちる。大ホールでの上演後、「本当に泣いているように見えました」という感想をもらうが、泣いているようなのではなく、本当に泣いているのだ。私が教室や公民館という、小さい箱での劇を愛してやまない理由のひとつが、この涙が見えることなのであるが、今日はそれは本題ではない。
 プロの女優の中にはものの数秒で涙を流すことができる方がいるようだが、そのような芸当ができる部員はかつてもいなかったし現在も一人もいない。瞬時に涙が流せるための特別な練習に取り組んだことはない。そのような練習があるとしても、それを練習を取り入れたいとは思わない。しかし、今回上演した、『春一番』の本番でも、本当の涙を見ることができた。では、なぜ部員たちは『春一番』の本番に、涙を流せたのか。その理由はひとつではなく、様々なアプローチが存在するのだが、そのアプローチのひとつを紹介したい。

 『春一番』の登場人物のみゆきは高校受験に失敗する。そしてその日、失意の中自分の友だちを次々と傷つけてしまう。そして、翌日から学校に来なくなる。彼女の友だちの一人、みゆきと同じクラスの裕美が卒業式の前日、彼女にメッセージを録音して送る。裕美は学級にずっといけずに放送室に登校している少女。その裕美がみゆきに送ったメッセージは「みゆきちゃんと一緒に卒業式に出たいから、卒業式の朝、みゆきちゃんが来るのを教室で待っています」というものだった。劇の中では、卒業式当日のことは直接演じられはしない。卒業式に何が起こったかは、卒業式の翌日、放送室で行われるみゆきと由美子の放送ごっこの中で語られる。それは次のようなものだ。

◆◆◆
西日が差し込む放送室、そこでみゆきが一人で窓の外を見ている。
由美子が入ってくる。二人は何もしゃべらない。由美子がマイクに口を近づける。そして、いつものDJごっこを始める。

由美子 こんにちは、三月十五日・日曜日。今日は特別企画として「あなたにインタビュー」を放送します。よろしくお願いします。
みゆき (マイクに口を近づけて)よろしくお願いします。
由美子 (あえてみゆきに背を向けて)さて、岩崎みゆきさん、昨日の卒業式は一言で言うとどうでしたか?
みゆき (あえて由美子に背を向けて)一言じゃ言えません。
由美子 それでは、どうぞ語ってください。
みゆき 私は朝、卒業式の三時間前に学校に行きました。教室で裕美を待つためです。学校は静かでした。私は教室のドアを開けました。誰もいないはずの教室に私より先に来てる人がいました。裕美と凉子と由美子でした。凉子は私に駆け寄り「このばか」と殴ってきました。そして、思い切り私を抱きしめました。骨が折れるんじゃないかと思うほど、強い力でした。裕美は私を見るなり泣き出しました。私も泣いてしまいました。由美子が私に手を差し出しました。私は、その手をしっかり握りしめました。由美子は何も言いませんでした。私も何も言いませんでした。
由美子 劇にでも使われれば、感動的なシーンかもしれませんね。
みゆき そうですね。
◆◆◆

 さて、本番二日前の7月30日。久喜中学校での最後のリハーサルの直前。みゆきが放送ごっこで語った、卒業式当日の朝の場面を再現してみた。みゆき(ここは役名で説明していきます)が教室に入る。凉子が「このばか」といってかけより、何度も「ばか、ばか、ばか、ばか」と言ってみゆきを抱きしめる。凉子は泣いていた。みゆきも泣いていた。裕美はこの状況でもう泣いていた。劇で語られることと同じ状況がそこに存在した。みゆきが裕美を抱きしめた。みゆきの放送ごっこにはないシーンだが、それはとても自然な流れだった。そして、泣きながら由美子が手を差し出し、みゆきが泣きながらその手を握った。
 部員全員が、このシーンを教室の隅で隠れて見た。このシーンを部員全員で共有した。
 その後のリハーサル。このシーンを語る時のみゆきの泣けたこと、泣けたこと。語る時に実際に頭の中に映像が浮かぶのだから、心は動く。これが『春一番』の本番で本当の涙が流せた秘密のひとつだ。もちろん、これと同じことを埼玉東部地区大会の前にも行った。私たちはこのような取り組みを大切にしている。

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