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2009年8月10日 (月)

東京でのワークショップ その4 よし出し

 東京でのワークショップで参加者の前で「よし出し」について語ることができた。私は「だめ出し」という言葉が好きではない。教育者としての私の考え方に合わないからだ。しかし、演劇人としての私は、しかたなくその言葉を使ってしまうのだが…。私は「よし出し」が好きだ。演劇と教育8・9月合併号に全劇研上演劇『春一番』への取り組みの紹介の中で、この「よし出し」について書くことができたので、その部分を紹介したい。

 全体をいくつかのチームに分け、それぞれのチームが、ある作品の一場面(五分から十分程度の場面)を創り上げる(チーム分けは、一チームに一年から三年までの全ての学年の生徒が入るという条件のもとに、くじ引き等で行われる)。役は固定しない。チームの中で次々とローテーションさせていく。役作りは個々に任される。演出はある一人がするのではなく、チーム全体で行う。そして、最後はそれぞれのグループが、自分たちの創った劇のワンシーンを発表する(発表する時の役は、チーム内の話し合いで決める)。発表は和やかな雰囲気の中で行われる。面白い表現には大笑いし、真に迫った表現には涙を流す。そして、一つのチームの発表が終わるごとに感想発表を行う。そこでは上級生が中心になって、仲間のよかったことを見つけそこをほめる。私はこれを「よし出し」と言っている。子どもたち同士の厳しい「だめ出し」が劇をよくするという考えもあるだろうが、私はそうは思っていない。「だめ出し」によって明日劇を演じる勇気をもぎ取られた生徒が、表現を伸ばすとは思えない。もちろん誰もがやみくもにほめることはしない。ただ、彼女たちが生み出す発表はすてきな表現に満ち満ちているのだ。そんな表現を目にしたらほめるしかないではないか。

 ワークショップの後の、指導者との懇談会で、だめ出しに関しての質問が出た。「私までもが、だめ出しを出さないのか」という質問だった。相互発表の際、私は「だめ出し」というよりも「明日への一歩」になるコメントを出す。が、個人的なだめ出しは極力出さないようにしている。みんなが聞いているところで、だめ出しを出すメリットがないからだ。それは発表前の練習の中で出すことができることだ。私は発表の中で表現が伸びた生徒をほめる、もうそれこそ思いっきりほめる。毎回の発表で、心からほめたいと思うほど表現が伸びる生徒が必ずいる。ほめられた生徒はまた一段と表現が向上する。一番だった生徒ではなく、伸びた生徒をほめるのであるから、何回かの発表の中で全員をほめることができる。
 劇の上演前の取り組みでは、だめ出しのようなものを出す。だめ出しと呼ばれているものをプリントにして配ったりもする。ただ、出しただけで終わるものは絶対に出さない。出したものは生徒が必ずクリアできると信じられるものだ。劇が終わった後、部員一人一人に心から「よかったね」と言えるためのものだ。世間一般での「だめ出し」と呼ばれているものが書かれたプリントのタイトルは「明日への一歩」。「だめ出し」は響きが良くないし、教育的ではないと私は考える。

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