Little DJ 小さな恋の物語
焦った。びっくりした。はじめてこの物語の存在を知ったのは12月暮れの読売新聞に載った映画の広告。すぐにインターネットでどんな物語かを調べた。そこには次のような紹介文が記されていた。「入院生活に飽きてきた頃、毎日お昼に聞こえる音楽に興味を持ち始めた太郎は、やがてお昼の院内放送のDJを行うように」「誰もが忘れられない初恋と少年少女の成長を70年代の名曲で彩る、ノスタルジックな日本版“小さな恋のメロディ」。ますます、焦る。私が制作している『春一番』にはDJを夢見る二人の少女が登場する。そして、『春一番』は70年代にヒットした名曲である。私は、すぐにアマゾンにこの小説を注文した。あらすじを見た感じでは、DJになりたい主人公という以外の共通点はありそうもなかったが、気になって仕方なかった。アマゾンから届けられた本をその日のうちに読み始めた。そして、全く違う地平にあることを確認し、そこで読むことを中断した。昨日、再び読み始めとりあえず最後まで読んだ。
泣くという気持ちからかなり遠いところに自分はいた。これを読む少し前に読んだ、森絵都の「彼女のアリア」「つきのふね」では、はからずも涙いてしまった私だったが(もちろんどちらの作品も人は死にません)、「Little DJ」はあまりにも激しく、「泣け、泣け」という叫び声が聞こえてくるようで、ひいてしまった。舞台の世界でも、役者があまりに激しく泣くとその勢いに観客がひいてしまうということがよくあるが、それと同質の何かを感じた。
息子の闘病を通して父が変容していく流れは「君は海をみたか」(倉本聡)であり、落ちは「ラブレター」(岩井俊二)だった。ただし、「ラブレター」に満ちあふれていた詩情がない。
一言で言うと、典型的な難病ものであった。難病もののほとんどを嫌う自分ではあるが(その代表作は「ジョーイ」「ある愛の詩」)、難病ものを否定するわけではない。私自身「降るような星空」という作品を若い頃に書いている(主人公の弟が難病で死んだことが回想で提示される。主人公がラストで死ぬ難病ものとは違うが…)。ただ今の自分は感動の単なる道具となりはてた難病ものは書かないだろう。難病に向かうということは、本人にとってもその周りにとっても、単にきれいごとだけではすまされないものがあるはずだ。
難病ものの多くが死というものを、美化している気がする。そんな難病ものではない難病ものが描ければ描いてみたい気もする。
DJという小道具以外の共通項はなさそうである。一安心。…といっても注目度に関しては私の『春一番』など、『Little DJ』にはまったく歯が立たない、埃のような作品なのであるが。埃には埃なりの誇りがある。
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