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2006年1月17日 (火)

『あらしのよるに』 続編がなければ

 『あらしのよるに』(木村裕一・作 あべ弘士・絵)が昨年末に映画として公開され、けっこう評判を呼んだ。私はこのシリーズの第一作である『あらしのよるに』が好きだ。3年前に購入し、学級文庫にも置いた。子ども向けとはいえ、中学3年が読むのに充分堪えうる内容であると感じたからだ。
 第一作のよさは嵐の夜、雷の嫌いな狼と山羊が真っ暗な中、小屋の中で出会い、お互いを誰だかわからないまま、一夜を過ごす。 お腹をすかせた二人は食べ物の話をする。食べ物という言葉が意味するのは、狼は山羊、山羊は草であり、二人の思い描く世界はすれ違ったままであるにもかかわらず、会話は見事に成立していく。その認識されないすれ違いを描いた表現は見事であった。
 そして、二人は相手が誰だかわからないまま明日の昼に会う約束をして別れる。
「あくるひ、この おかの したで、なにが おこるのか。このはの しずくを きらめかせ、ちょっぴりと かおを だしてきた あさひにも、そんなこと、 わかる はずも ない」
というエンディングが粋であった。
 しかし、残念なことに続編が出てしまう。続編は『あるはれたひに』。何とそこでは狼と山羊は友達になってしまうではないか。こうなるといけない。人間の世界の人間同士で語られるべき倫理が肉食動物と草食動物の間で語られるとき、表現と物語はやせ衰えてしまう。
ここかしこに狼が我慢しきれなくなって山羊を襲ってしまったのではないかという表現が現れる。洞くつの中から山羊の悲鳴が聞こえてくる。次の瞬間、洞窟内でけつまづいて怪我をした山羊をおぶって歩いてくる狼が現れるといった具合に。
その続編『くものきれまに』では山羊の友達まで現れ、物語はますますやせていく。

 昨日のブログでファーブルが記した「命の法則」について引用した。
 狼が山羊を食べることは悪徳ではない。それゆえ、結末はわからないまま終わりにすべきだった。映画は続編が中心になっているようなので見ることはないだろう。子どもが友情の大切さを学ぶにはよいのかもしれないが、そのことについても「Yes」とは言いにくい。
 教師である私は、生徒に友情の大切さも語る。しかし、狼が狼であること、羊が羊であることに畏敬の念を感じている私が、友情の物語を狼と狼の話で語ることはないとはいえないが、狼と羊の話で語ることはありえない。
 一昨日オオタカに襲われたコガモのことを紹介した。『あらしのよるに』を見た子どもが、狼・オオタカ(肉食)=悪、山羊・コガモ(非肉食)=善のような二分法を身につけないことを望みたい。

「Yes」といえない私の思いの根拠については、ファーブルが『昆虫記第五巻』(岩波文庫で出ている全集では第十分冊)の「蝉と蟻の寓話」という章で、明解に語ってくれる。長くなるのでここで引用はしないが、興味がある方はぜひそちらをお読みください。

 つぶやき
 宮澤賢治の『なめとこ山の熊』は偉大な物語である。

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