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2006年1月31日 (火)

笑いについて考える その3 ~『五輪書』から再度『スイングガール』について考える~

宮本武蔵著『五輪書』を読んだ。そして次のような言葉に出会った。

観見(かんけん)二つの事、観の目つよく、見のめよわく、遠き所を近く見、ちかき所を遠く見る事、兵法の専也。

「見る」というのは目もとで見ることだという。それでは「観る」といは以下に観るかといえばそれは心で観ることであるというのである。『スイングガールズ』にはルックスの整ったかわいらしい女の子がたくさん登場する。その女の子達をかわいいとみるのは「見る」。この「見る」目がこのドラマの後ろにあるものを「観る」のを邪魔する。
このドラマの後ろにあるものを「観る」ためには、女の子達のかわいらしさを「見ない」ようにしなければならない。

『スイングガール』に登場する女の子達はモラルを欠いたひどい少女達である。
しかし、そのひどさはかわしらしさによって許されてしまう。そして、多くの人が彼女たちのドラマに笑う。

『スイングガールズ』の女の子達には変容がない。性格は全然変わらない。変わるはずはない、その性格は作者にとって変容する必要がないものだから。その性格は笑いの材料として監督にとって不可欠なものである。彼女らが変容させていくのはただ単に楽器を演奏する技量のみである。その演奏力が伸びると同時に、彼女らの内面が成長することはない。『スイングガール』は外面的な成長のドラマではあるが、内面的な成長のドラマではない。

このドラマは見た目のかわいらしさは観ること妨げるということを教えてくれる。

観る視線にも耐えられる笑いはないものだろうか。

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