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2006年1月 5日 (木)

『青空』 今日までの道程

 今回は新作は無理だと思った。自分が抱えている学校での仕事の量、仕事は学校だけで終わる量ではなかった。そんな中、脚本に費やすことのできる時間を考えると無理と考えるしかなかった。部員が新しい自分たちだけの作品をやりたいと思う気持ちも理解できた。その新しい作品を私に創ってほしいという気持ちはうれしくもあった。

 文化祭が終わった11月の初めに部員を集めた。その時、私の頭には、ただおおざっぱな構想があるだけだった。本当におおざっぱな構想だった。舞台は暴風雨洪水注意報が出ている文化祭前日の教室。その教室が太平洋戦争に関する展示に囲まれているということ。ラストは携帯電話が重要な役割を果たすだろうということ。それくらいだった。台詞は一行も書かれてなく、題名も決まっていなかった。
 このままでは、作品が出来上らないことから劇の発表そのものができなくなってしまう可能性があることを正直に話した。それでも新しい作品を待っていいのかと。
 部員の心は揺れた。その揺れを見て、以前私が書いた作品をやるということになると思った。しかし、最終的に、部員はまだ見ぬ新しい作品に期待したいという選択をした。私の健康も気遣い「先生さえ無理でないなら」という言葉も添えて。もし、作品の出来が遅れ、2年連続で出場している関東大会に出場できなくなっても、それはそれでいいというのだ。部員たちのその思いが、結果的に私の創作意欲を高め、最終稿の完成に辿り着くことができた。
 制作途中、部員に伝える題名は何度もかわった。最初につけた題名は『青いくるみ』。宮澤賢治の『風の又三郎』の中に出てくる『風の歌』からとったのだが、文学の素養のない一部の人には危い響きとして感じられる可能性があるという指摘を受け、その題名は捨てた。次に考えたのが『暴風雨洪水警報』。劇中の天気をそのまま題名にしたという面白味のなさにその題名は数日で消滅した。次に考えたのが『Love』。その題名は劇中で使われる予定だった歌からとったので、その歌が劇の構想とフィットしなくなり、劇中で使われなくなったと時、必然的に消えた。そして『私の青空』という題名を経て、最終的に『青空』という大変シンプルな題名に落ち着いた。

 第一稿ができたのが12月24日。その日の午前9時にできた原稿を、午前10時に印刷し、午前11時に部員に配った。その日までに前半3分の2は渡し練習していたので、その日は全体の3分の1に当たるラストを練習し、その日の5時30分に台本を持ちながら通し練習をした。たくさんの保護者がその通しをみに来た。ラストで、演技をしている生徒の目から涙がこぼれる。保護者の目にも涙が。はじめての通しなのに、というかはじめての通しだからこその、透明感あふれる空間が生まれた。終わった後、二年生部員の一人一人が、それぞれの言葉で、台本を創りあげたことへの感謝の言葉を言いに来てくれた。苦しみながらも新作を創ってよかったと思った。
『青空』、1月8日()に本番を迎える。

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