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2006年1月28日 (土)

『リンさんの小さな子』 号泣という宣伝が似合わない号泣本

 昨年読んだ本の中で一番心に残ったのは『リンさんの小さな子』(フィリップ・クローデル著 みすず書房)だ。読後、作家・川上弘美がこの話に号泣したと知った。事前にその情報を知らなくてよかった。号泣する本だと聞いていたら、私はこの本を手にしなかったはずだから(ただ、号泣したのがほかならぬ川上弘美なので、手にした可能性はあるが)。

 私は号泣することが嫌いではない。号泣するような作品に触れ、心から泣きたいと思っている。しかし、私は子どもの頃から号泣を宣伝文句にするような小説、映画、漫画に感動して号泣したという記憶がない(子どもの頃の『キタキツネ物語』、『ジョーイ』、中学時代の『ある愛の詩』、20代の『火垂の墓』など)。そのような数多くの経験から、最近の私は号泣が宣伝文句となっている作品には近寄らないのだ。

さて、『リンさんの小さな子』に私は号泣したか。答えは「否」。しかし、今の私には、号泣を宣伝文句にするには全く似合わないこの物語に、号泣する人がいるということが理解できる。『リンさんの小さな子』は、号泣が宣伝文句である多くの作品に号泣できなかった人が、号泣する可能性を持つ作品なのだ。

 物語は現在形で語られる。過去形はリンさんが故国を回想するときにのみ使われる。
 リンさんは戦争で家族を失い故国を追われた。そしてサン・ディブという生まれてまもない赤ん坊を抱いて、難民となって故国に戦争をもたらした国にやってきた。そこで彼はバスクという男と出会う。二人はまったく言葉が通じない。しかし、二人の心は通い合う。
バスクという男が言葉が通じないリンさんに、言葉が通じないからこそ語れる胸の内を吐露する過程で、心が浄化されていく描写が素晴らしく、読んでいる私の心も一緒に浄化されていった。

 読者はラストシーンを読み終えたところで、なぜこの作品の題名が『リンさんの小さな子』なのか理解することだろう。そして、一ページ目から読み返すことだろう。少なくとも私はそうした。そして、作者の企みにまんまとだまされたことに気がつくのだが、だまされたということは決して不快ではなく、爽やかな風となって心地よさをもたらすのだ。

 『リンさんの小さな子』は「珠玉の」という形容が似合う作品である。

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