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2006年1月18日 (水)

『KITCHEN』 蜷川幸雄 美しい舞台

北王子魯山人の『魯山人味道』を読むと、料理と演劇の道はよく似ていると思う。例えば美について。魯山人は料理の美について次のように語る。

(料理における)美の問題であります。美しさのことであります。美的価値のない料理は、よい料理とは申されないのであります。ひとり料理にはかぎりませんが、眼に見て美しいに越したことはないのでありますから、この点、充分関心を持つべきであると思います。

演劇も美的価値のない演劇は、よい演劇とはいえない。しかし、美しいと感じる演劇に出会うことは少ない。そんな私が美しいと感じる演劇を提供してくれる数少ない演出家の一人が蜷川幸雄だ。ビデオで2005年4月にシアターコクーンで上演された『KITCHEN』(アーノルド・ウェスカー・作 蜷川幸雄・演出)をみた。1959年ロンドンで初演以降、世界22ヶ国、53都市で上演されてきたイギリス現代演劇の傑作と言われている作品だ。
作品は大繁盛しているレストランの厨房を舞台に、若者の世界を描いた群像劇だ。アーノルド・ウェスカーは「シェイクスピアにとってはこの世界が舞台であったろう。しかし、私にとってはそれは調理場なのだ」と自ら語っている。

さてこの脚本を蜷川幸雄がどのように料理するのか、興味津々であった。最近の私は演劇を通して「対話」について真剣に考えていることもあり、彼の演出する対話は不自然でわざとらしく聞こえる。人間はそんなふうには話さないと思ったりもした。若者たちの滑舌の悪さも気になった。しかし、厨房を動き回る若者たちの身体表現の美しさには、シルク・ド・ソレイユのサーカスを見るのと同質の感動を覚えた。
第一部の終わりの注文が殺到する厨房の激しい動き、それに登場人物達の対話とオーダーが入り交じる言葉の洪水。そしてそれが究極の速さに到達したときに舞台に訪れる突然の暗転。その衝撃。
滑舌が悪くたっていい。対話が不自然でもいい。蜷川幸雄の紡ぎ出す美しいシーンの存在が欠点と思われることさえも肯定へと向かわせる。

私は『KITCHEN』という蜷川幸雄の極上の料理を堪能した。

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