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2005年10月16日 (日)

ハロルド・ピンター ノーベル文学賞受賞 20年前のアンダーライン

イギリスの劇作家ハロルド・ピンターがノーベル文学賞を受賞した。20年前に買った『ハロルド・ピンター全集』を書棚の片隅から引っ張り出して、彼の戯曲と演劇及び戯曲について語ったことを読み直した。読み直した戯曲は『料理昇降機』(昨年シスカンパニーが『ダム・ウェイター』のタイトルで上演)、『風景』『沈黙』。以前の私もそうだったが今の私も『沈黙』が一番心に残った。何気ない会話で構成される、何気なくない詩的な表現が心地よい。

彼が講演で戯曲について語った『劇場のために書くこと』『ハンブルグにおけるスピーチ』は、20年前の私が引いたアンダーラインで埋め尽くされていた。あまりにアンダーラインが多くどれが特に心に残ったのか分からないほどだ。20年前の私はこんな文章に心を動かしたのかという懐かしさでアンダーラインを辿った。そして、今もそのアンダーラインを引いた箇所は私の心を動かすものであった。今でも心動かされるいくつかの言葉を紹介したい。そして、そこから今の自分をみつめてみたい。

◆私の考えによれば、リアルなものとリアルでないもの、真なるものと偽なるものとの間には、厳密な区別はありえないのです。ある事柄が真か偽かどちらかであるとは必ずしも言えないのであり、それは真であってしかも偽だということもあるのです。(『劇場のために書くこと』)

そう、この言葉を愛するからこそこのブログのタイトルも『幻の森通信』となるのである。私にとっては幻はリアルなものとリアルでないものを宙づりにした、真であって偽であり、偽であって真であるそんな世界である。

◆私の考えでは、人間は沈黙によって(語られないことによって)極めてうまく意思を疎通させており、また、現実に起こっているのは、絶えざる回避である(自らのことは自らの内に秘めておいて他人に知らせまいという必死の試みである)ということになります。意思の疎通とはあまりにも恐ろしいものなのです。他人の人生に入り込むのは恐ろしすぎます。他人に向かって自己の内部の貧しさをさらけ出すのは、考えただけでも身の毛のよだつことです。(『劇場のために書くこと』)

私が関わっている中学校演劇の世界に存在する脚本のほとんどは、自分の思っていることを思っているままに語る語り口で満たされている。自分の思っているのと反対のことを語るときも、あまりにわざとらしくそれが透けてしまう語り方をするので、思っていることを話しているのと何ら変わりはない、そんな対話の数々で満たされている。中学校演劇に限ったことではなく、テレビドラマでのほとんどがそんな会話で満たされている。私は、そんな世界とは違ったものを描こうとしてきた。しかしこれを読んだ当時の20年前の私はそれができなかった。もちろん今もそれができているというわけではない。しかし、20年前よりはこの言葉が理解できるようになったとは思う。

◆(私は)目下何も書いてはおらず、また何も書けない状態にいます。なぜなのか分かりません。これが極めていやな気分であることは分かっていますが、一方、あえていうなら、私は何にもまして、もう一度空白のページを埋めてみたい、そして指先を通じての誕生というあの奇妙なことが起こるのを感じてみたいと願っています。(『ハンブルグにおけるスピーチ』)

私は今新作を書くことで苦しんでいる。全然書けないでいる。私ももう一度空白のページを埋めてみたいと思っている。そんな私にとってハロルド・ピンターのノーベル文学賞受賞は、刺激的な出来事となった。

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